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桂文我 (4代目)

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桂文我 (4代目)
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4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東おおひがし 幸浩ゆきひろ出囃子は「せり」。

概要 本名, 生年月日 ...
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人物

松阪市立中部中学校から落語が好きで学校に落語の部活がなかったので教師に頼んで部活を創設するほどであった。その後三重県立松阪工業高等学校でも部活を立ち上げる、卒業後、1979年昭和54年)3月2代目桂枝雀に入門。同年7月、茨木市での「雀の会」にて桂雀司として初舞台。1995年平成7年)、4代目桂文我を襲名。現在では東名阪を中心に、全国各地で年間約300回の落語会を開催。また自らの幼少時に落語や浪曲に触れた経験から、とくに1992年(平成4年)ころより、子供を対象にした落語会も多数開いている。珍しい噺の掘り起こしに力を入れるなど、熱心な落語研究家でもある。夫人はお囃子三味線のかつら益美

1994年師匠枝雀と共に一門全員が上方落語協会脱退。2008年、兄弟弟子である桂九雀の呼びかけで一門の大半が復帰したが、文我は思うところがあって、復帰せず現在に至る。従って天満天神繁昌亭には未だかつて出演せず、非協会員でも朝夜席には出演できるにもかかわらず頑なに出演を拒んでいる。また、旧大須演芸場席亭・足立秀夫との親交も深く、名古屋での月例独演会は続けているものの、2015年9月以降の新生・大須演芸場には定席・貸館ともに出演をしていない。

芸風は師・枝雀と違い爆笑派ではなくしっかりじっくり聴かす古典派。

2011年9月現在は出身地の三重県松阪市在住。

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受賞歴

弟子

直弟子

その他

  • 笑福亭里光 - 落語家になろうと考え、最初に文我に弟子入りしようとしたが断られた。後に笑福亭鶴光に入門。
  • 吉田達(落語会プロデューサー)- 文我に入門したが、松阪でホームシックになり名前をもらう前に断念。後に、大阪で東京の落語家を招く落語会「吉田食堂」を立ち上げる[2]

書籍・CD

要約
視点

絵本

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紙芝居

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児童書

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書籍

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CD

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出演

連載

  • 「桂文我蒐集行脚 こんなもんメッケ」 月刊誌『中州通信』リンドバーグ
  • 「おやこで楽しもう落語の世界」 月刊誌『新世』社団法人倫理研究所

出典

脚注

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関連項目

外部リンク

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