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桃園県
1950年から2014年まで存在した中華民国台湾省の県 ウィキペディアから
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桃園県(繁: 桃園縣、とうえん-けん)は、かつて中華民国台湾省に存在した県。1950年(民国39年)に新竹県を分割して設置され、2014年(民国103年)に直轄市である桃園市に昇格して台湾省から離脱した[1]。直轄市への昇格直前(2014年12月)の人口は台湾地区内で最多の2,058,328人であり[2]、人口が200万人を超えた2010年(民国99年)6月以降は直轄市に準ずる権限を有していた(通称:準直轄市)[3]。
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行政区画
1945年(昭和20年/民国34年)10月25日、日本の敗戦に伴って台湾は中華民国国民政府に接収(台湾光復)され、台湾省が設置された。現在の桃園市・新竹県・新竹市・苗栗県の範囲に存在した新竹州は、台湾省の県として新竹県に改編され、州の下に存在した郡は全て「区」に改称された。新竹州時代の州庁所在地であった新竹市が省轄市(現:市)に昇格して新竹県から分離したため、新竹県政府は桃園区桃園鎮に設置された[2]。
1949年(民国38年)、大渓区角板郷、竹東区尖石郷・五峰郷、大湖区大安郷が合併して新峰区が設置された[4]。
1950年(民国39年)、台湾省全体での大規模な行政区画改編に伴って新竹県が分割され、桃園区・中壢区・大渓区・新峰区角板郷の範囲を以て桃園県が設置されて4鎮・9郷を管轄下に置いた[注 1]。
1954年(民国43年)、角板郷が復興郷に改称される。
1971年(民国60年)、桃園鎮が県轄市に昇格する。
直轄市への昇格時点で、桃園県には6市・1鎮・6郷が存在していた。

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県政府組織

2014年時点での桃園県政府の組織:
- 民政局
- 教育局
- 社会局
- 労動・人力資源局
- 財政局
- 工商発展局
- 農業発展局
- 地政局
- 城郷発展局
- 工務局
- 水務局
- 原住民行政局
- 交通局
- 観光行銷局
- 警察局
- 衛生局
- 環境保護局
- 消防局
- 文化局
- 地方税務局
- 客家事務局
- 新聞処
- 秘書処
- 法制処
- 人事処
- 主計処
- 政風処
- 研究発展考核委員会
歴代県長
→「桃園市長」も参照
地方自治実施前
地方自治実施後
脚注
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