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桜庭子郎
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桜庭 子郎(さくらば しろう、1891年(明治24年)3月11日[1] - 1969年(昭和44年)8月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1891年(明治24年)に青森県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[2]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第4師団司令部附となり[3]、1940年(昭和15年)5月に蚌埠特務機関長に就任した[3]。1944年(昭和19年)6月5日に支那派遣軍総司令部附となり[4]、9月11日に支那駐屯歩兵第2連隊長(第20軍・第27師団[5][6])に就任した[3]。
1945年(昭和20年)2月20日に独立混成第82旅団長(支那派遣軍・第6方面軍・第20軍)に就任し[1][2]、6月10日に陸軍少将に進級[3]。株洲で守備に任じ、同地で終戦を迎えた[2]。
脚注
参考文献
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