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森川俊民
日本の江戸時代後期の大名 ウィキペディアから
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森川 俊民(もりかわ としたみ)は、江戸時代後期の大名・若年寄。下総国生実藩9代藩主。官位は従五位下・弾正忠、紀伊守、出羽守。
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生涯
文化元年(1804年)または文化2年(1805年)、肥前国島原藩2代藩主・松平忠馮の八男として生まれる。文政11年(1828年)11月に生実藩の8代藩主・森川俊知の養子として迎えられ、文政12年(1829年)4月13日にはその長女・登志と結婚して婿養子となった。12月16日に従五位下・弾正忠に叙任される。天保9年(1838年)、俊知の死去により家督を継いだ。
天保12年(1841年)4月に日光祭祀奉行に任じられ、弘化3年(1846年)7月17日に大番頭に任じられる。嘉永元年(1848年)10月18日に奏者番に任じられ、嘉永5年(1852年)7月8日に若年寄に任じられ、出羽守に遷任する。安政2年(1855年)4月19日に若年寄の辞職を求めたが許されず、9月19日になって病気を理由に辞職を許され、直後の11月5日に死去した。享年52(または51)。
跡を三男の俊位が継いだ。
系譜
父母
正室
- 登志 - 森川俊知の長女
子女
血筋
婿養子ながら、女系では森川氏の血を引く。
脚注
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