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楊廷芸

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楊 廷芸(よう ていげい[1]、ズオン・ディン・ゲ、ベトナム語Dương Đình Nghệ / 楊廷藝、生年不詳 - 大有10年(937年3月)は、五代十国時代安南の豪族。節度使[2]を称した[3][4]楊正公(ズオン・チン・コン、ベトナム語Dương Chính Công / 楊正公)とも称された[4]。後に呉朝を打ち立てた呉権の岳父にあたる[2]

概要 楊廷芸, 各種表記 ...

生涯

愛州(現在のタインホア[2]の出身。10世紀初頭の安南で静海軍節度使中国語版を称した曲顥の下で将軍に上った[4]大有3年(930年)、曲顥の子の曲承美南漢の李守梁克貞中国語版らの軍に敗れて捕らえられた。翌大有4年(931年12月、南漢に背いて自立した[5]楊廷芸は3,000の兵を率いて大羅城を攻略[2]し、交州刺史の李進を追放した[3][6][7]。大有10年(937年3月峰州の豪族であった矯公羨に殺された[3][4][6][5][7]

出典

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