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横地森太郎
日本の水泳選手 ウィキペディアから
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横地 森太郎(よこち しんたろう、1935年〈昭和10年〉10月31日 - 2023年〈令和5年〉1月15日[1])は、日本の水泳選手。ポルトガル陸軍士官学校教官。ポルトガルのオリンピック水泳代表監督を5回務めた。
経歴
1935年(昭和10年)広島県坂町に生まれる。広島市への原子爆弾投下時は疎開していたが、投下3日後に入市して間接被爆[2]。1954年修道高等学校を卒業し[3]、早稲田大学に進学。早稲田大学在学中は水泳選手として活躍し、1957年戦後日本と中国の初めてのスポーツ交流となる中国遠征に参加、周恩来首相が姿を見せ握手するなど歓迎を受けた[4]。1957年日本学生選手権水泳競技大会競泳競技では100メートル自由形3位、800メートルリレー(早大チームの2泳として参加)は1位となる。早稲田大学卒業後の1958年アジア大会(東京)では100メートル自由形3位となり銅メダル獲得[5]。
1958年、日本水泳連盟の推薦でポルトガルに渡り[2]、ポルトガル陸軍士官学校の水泳指導教官として勤める。その間、ポルトガルの水泳代表チーム監督として5回オリンピックに出場した[6]。水泳日本代表チームの欧州遠征にも裏方としてサポートを続け、2007年日本水泳連盟から特別功労賞を表彰された[3]。リスボンの日本料理レストランのオーナーも務める。
長年にわたる日本・ポルトガル友好関係への貢献に対し、2010年春に旭日双光章を受章した[1]。
息子はポルトガルのオリンピック水泳選手で現機械工学教授のAlexandre Yokochi。
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脚注
関連項目
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