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橋本恕
日本の外交官 ウィキペディアから
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橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日 - 2014年〈平成26年〉4月6日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国特命全権大使を歴任。徳島県鳴門市出身。位階は従三位。
人物
天皇訪中
駐中国特命全権大使であった1991年11月28日、外相兼副総理であった渡辺美智雄宛ての極秘電報「天皇御訪中(本使意見具申)」で、「中国は明年の国交正常化20周年に際し、官民あげて天皇訪中を切望し、これが実現すれば名実ともに日中間の戦後は終わり友好協力の新時代が確固不動になると強い期待を表明している」と天皇訪中の実現を強く訴えた[1]。
また、天皇訪中の実現のため、政界工作やマスコミ工作を行った[2]。橋本は1992年6月26日、共同通信社社長の犬養康彦と面会。橋本は北京支局の記事を挙げて「意図的に天皇訪中をぶち壊そうとしているとしか考えられない。北京の他の各紙もそう言っている」と話し、「中国の党も政府も全く問題にしていない対日民間賠償、従軍慰安婦の問題などを、これでもか、これでもかと針小棒大にアラーミングに書きたてている。共同通信の社長としてどう考えるのか?」と迫り、「天皇訪中をぶち壊すためプレス・キャンペーンを続けるつもりなら、中国側は支局閉鎖とか、特派員の国外退去とかの措置に出ると思う。その際、大使館としては助けることはできないと覚悟してほしい」と述べたことが外務省の外交文書より明らかになっている[3]。
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略歴
- 1953年:旧制高知高等学校を経て東京大学法学部卒業後、外務省入省
- 1953年:英語研修(在米国)
- 1955年:在パキスタン大使館
- 1958年:アジア局中国課
- 1962年:在スイス大使館
- 1965年:在ハンガリー大使館
- 1966年:アジア局中国課首席事務官
- 1968年:アジア局中国課長。1972年に日中国交正常化交渉を担当。
- 1973年:在中華人民共和国大使館参事官
- 1974年:在連合王国大使館参事官兼ロンドン総領事
- 1977年:大臣官房領事移住部外務参事官
- 1980年:大臣官房審議官
- 1981年:情報文化局長
- 1983年:アジア局長
- 1984年:駐シンガポール大使
- 1987年:駐エジプト大使
- 1989年:駐中国大使(1992年:天皇訪中)
- 1993年:退官
- 退官後はヤオハンインターナショナル取締役、神戸製鋼所特別顧問などを務めた。
- 2014年4月6日午前0時53分、老衰のため東京都港区の病院で死去。87歳没[4]。
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同期
脚注
参考文献
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