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橘永継
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橘 永継(たちばな の ながつぐ)は、平安時代初期の貴族。名は永嗣とも記される。右中弁・橘入居の長男。官位は従四位下・修理大夫。
経歴
左大臣・橘諸兄の子孫(曾孫)として官に就き、初め内舎人に任ぜられる。大同2年(807年)に発生した伊予親王の変に連座する。
大同5年(810年)9月の薬子の変後に許されて、同年11月従五位下に叙爵、翌弘仁2年(811年)民部少輔次いで越前介に任ぜられる。嵯峨朝では順調に昇進し、弘仁6年(815年)従五位上、弘仁8年(817年)正五位下、弘仁11年(820年)には従四位下に至る。
晩年は修理大夫を務めたが、在職中に病が重くなり[1]、弘仁12年(821年)3月14日卒去。享年53。最終官位は修理大夫従四位下。
人物
才知と技芸を欠いていたという[1]。
官歴
『日本後紀』による。
系譜
脚注
参考文献
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