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正木聖賢

広島県大竹市出身の競艇選手 ウィキペディアから

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正木 聖賢(まさき せいけん、1974年11月19日 - )は、広島県大竹市出身の競艇選手書家。登録番号3920[1]

概要 正木聖賢, 基本情報 ...

来歴

高校時代に親戚に連れられた宮島競艇場で、市川哲也の走りに衝撃を受け競艇選手を志す。

  • 1997年11月14日、一般競走(宮島)初日第2Rでデビューを果たす(結果は6着)。
  • 1998年1月5日、ニューイヤーカップ競走(宮島)3日目3Rで初勝利を挙げる(決まり手は抜き)。
  • 2000年10月24日、第29回つつじ賞()でG1デビューを果たす。
  • 2001年9月9日、一般競走(平和島)で初優勝を飾る(決まり手はまくり差し)。
  • 2002年2月19日、第45回中国地区選手権競走(下関)初日第2Rで記念初勝利を挙げる(決まり手はまくり差し)
  • 2006年7月4日、オールジャパン竹島特別 開設51周年記念競走(蒲郡)で記念初優出、初優勝を果たす。
  • 2007年には総理大臣杯オーシャンカップとSGレースに出場した。
  • 2015年3月8日、坂上忍杯(福岡)最終日3Rで通算1000勝を挙げる[2]

人物・エピソード

  • オールジャパン竹島特別では優勝戦で1枠を手にしていたが、スタート展示で後手を踏み6コース回りとなった。そのため規定により正木は1コースに入る権利を失った[3]。本番レースでは森高一真上瀧和則が激しいインコース争いを繰り広げた末に上瀧が森高に屈して6コース回りを選択、1コースに森高、正木はセンター3コースからレースを進めることになった。道中では2コースから先に攻めた新美恵一との激しいデッドヒートを繰り広げ、3周1マークでツケマイが決まり先頭に躍り出て初優勝を飾った[4]。このレースは競艇雑誌「BOATBoy」が2011年に企画した「21世紀最初の10年のベストレース」で並み居るSGレースの中に混じって3位に選出された。
  • 父は書家の正木嗣鵬(1948年10月9日~2015年11月10日)、母も書家である。本人も幼少期より書道を習い、レースに出場していない時は書道の練習や作品展への出展もしている[5]。また、ボートレース宮島の「御来場印」の書も正木が揮毫している[6][7]
  • 空手道でも芦原会館で黒帯を保持する腕前である[5]
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脚注

外部リンク

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