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正親町三条実躬

鎌倉時代の公卿。正親町三条家4代。正親町三条公貫の三男。正二位、権大納言 ウィキペディアから

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正親町三条実躬(おおぎまちさんじょう さねみ)は、鎌倉時代公卿

概要 凡例正親町三条実躬, 時代 ...

経歴

大覚寺統に仕え、1285年弘安8年)正四位下右近衛権中将1295年永仁3年)に蔵人頭1298年(永仁6年)に参議1303年嘉元元年)に従二位、同年10月末に中納言になるも、1305年、(嘉元3年)3月に辞任に追い込まれる。1316年正和5年)に権大納言に任じられたが、翌1317年(正和6年)に出家し、法名を実円と号した。

鎌倉時代の貴重な日記史料『実躬卿記』を著しており、自筆本だけでも70巻余りが現存し、その大半は重要文化財に指定されている。1287年(弘安10年)、幕府が後宇多天皇から熈仁親王への皇位交代を申し入れて来た際、その横暴を「末代作法口惜事也」(末代の作法、口惜しき事なり)と歎じたことがよく知られている。

系譜

  • 養子:正親町三条公躬(正応3(1290)年 - 暦応5/興国3年4月11日(1342年5月16日)) - 正親町三条実仲の次男

参考文献

関連事項


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