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歩兵第25連隊

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歩兵第25連隊(ほへいだい25れんたい、歩兵第二十五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

概要 創設, 廃止 ...

沿革

  • 1896年(明治29年)5月 - 屯田兵を母体に第7師団創設、独立歩兵第1大隊が創設され、月寒に転営。
  • 1899年(明治32年) - 独立第1大隊を歩兵第25連隊第1大隊に改編。
  • 1900年(明治33年)
    • 11月15日 - 連隊本部が札幌区札幌衛戍地(現在の月寒東1条3丁目から月寒東1条8丁目及び月寒東2条8丁目内)に開庁[1]。月寒中央通7丁目の現・つきさっぷ中央公園内に札幌偕行社(「将校集会所」から改称)があった[2]
    • 12月22日 - 軍旗拝受。
  • 1902年(明治35年) - 連隊の編成が完結する。
  • 1901年(明治36年) - 第6中隊が山海関に派遣される。
  • 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍(白襷隊に参加ほか)。
  • 1917年(大正6年)4月 - 満州駐剳。
  • 1919年(大正8年) - 帰還。
  • 1920年(大正9年) - 北部沿海州に派遣される。
  • 1921年(大正10年)7月 - 帰還。
  • 1932年(昭和7年) - 満州事変では第2大隊が参加。
  • 1934年(昭和9年)
  • 1936年(昭和11年)10月 - 陸軍特別大演習に参加。連隊営内に御講評場が設けられ昭和天皇が行幸[4]
  • 1938年(昭和13年)3月 - 徐州会戦に参加。
  • 1939年(昭和14年)5月 - ノモンハン事件に参加。
  • 1940年(昭和15年)
    • 10月 - 帰還。
    • 11月 -  樺太 敷香郡 上敷香に移駐[5][6]
      • 1939年5月に第7師団編成担当で既に新設されていた樺太混成旅団(兵力:樺太歩兵第1大隊樺太山砲兵第1中隊樺太工兵第1中隊)に編入。歩兵大隊、山砲中隊、工兵中隊を吸収[7]
      • 連隊編制表:本部・3個大隊(12個中隊、3個機関銃中隊)・1個歩兵砲隊・1個通信隊:人員2,971名、馬匹177[8]
  • 1941年(昭和16年)7月 - 関東軍特種演習により動員、大幅な戦力増強。
      • 連隊兵力は、人員4,487名、馬匹927に達する[8]
      • 同時に、 補充隊も編成された[8]
  • 1943年(昭和18年)5月 - 第67独立歩兵団(盛岡)より 歩兵第125連隊樺太混成旅団に編入。国境方面警備を交代。
    • 旅団は2個歩兵連隊と樺太山砲連隊樺太工兵隊樺太輜重隊、樺太通信隊、樺太衛生隊を基幹とする編制定員15,677名の大兵力となった[8]
    • この頃、旅団は新兵器の伐開機、伐掃機を装備。またトナカイによる後方、前線の輸送の研究を行った[8]
  • 1945年(昭和20年)
    • 2月28日 - 樺太混成旅団は、歩兵第306連隊(第30警備隊改編)を加え第88師団に改編。対米警備に当たる。
    • 8月15日 - 終戦
    • 8月18日 - 軍旗奉焼
    • 8月20日 - ソ連軍が真岡に上陸、攻撃されたため応戦する(樺太の戦い
    • 8月23日 - 停戦協定が成立、日本軍最後の戦闘を終える
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歴代連隊長

さらに見る 代, 氏名 ...
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脚注

参考文献

関連項目

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