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比嘉祐介

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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比嘉 祐介(ひが ゆうすけ、1989年5月15日 - )は、沖縄県名護市出身のサッカー選手。ポジションサイドバック

概要 比嘉 祐介, 名前 ...
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来歴

名護市立大宮中学校を卒業後、流通経済大柏高校へ進学した。高校3年時に、左サイドバックとして、高円宮杯全日本ユース選手権全国高校選手権の2冠達成に貢献した。高校の同級生には、大前元紀中里崇宏が、一学年後輩には、田口泰士久場光がいる。

高校卒業後は、流通経済大学へ進学。3年時には2010年アジア競技大会のメンバーに選ばれ大会優勝に貢献した。ユニバーシアード日本代表にも継続して招集され、2009年ベオグラード大会と2011年深圳大会に出場した。

2012年に横浜F・マリノスに入団することが公式サイトにより発表された。名護市出身者としては初のJリーガーとなる[1]。同年1月15日の新体制発表会において、昨年11月15日に入籍していたこと、5月に第一子誕生予定であることを明かした[2]

2014年1月10日、京都サンガF.C.に期限付き移籍することが発表された[3]。同年3月2日、J2開幕戦、北九州市立本城陸上競技場でのギラヴァンツ北九州戦で自身のJリーグ公式戦初ゴールを決めた[4]

2015年1月13日、京都サンガF.C.への期限付き移籍満了ならびに横浜F・マリノスへの復帰が発表された[5]

2016年よりジェフユナイテッド千葉へ完全移籍した[6]。2017年12月5日、2017シーズンをもって千葉を契約満了となったことが発表された[7]

2018年、東京ヴェルディへ完全移籍[8]。天皇杯1試合のみの出場に終わり、同シーズン限りで退団した[9]。2019年2月14日、現役引退を発表[10]

2022年1月26日、地頭薗雅弥が創設したSETAGAYA UNITEDに加入し、現役復帰[11]

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エピソード

  • ロンドン五輪世代の世代別代表としてアジア予選などでチームに貢献していたが、五輪本戦ではメンバーから落選した。落選後、密かに本戦に臨むメンバーを盛り上げるため自作DVDを作成し、英国で直前キャンプ中だった五輪代表にサプライズで披露された[12]。比嘉のDVDの効果もあってチームは一体感を増し、4位入りを果たした。
  • 非常に陽気な性格であり、横浜FMでチームメイトだった中村俊輔と大の仲良しであることで知られている[13]。2014年に横浜から京都への移籍が決まった際には、中村が「最悪、自腹で(横浜に)買い戻す」と冗談を飛ばした[14]

所属クラブ

ユース経歴
プロ以降の経歴

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

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代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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