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比志島義輝

日本陸軍の軍人 ウィキペディアから

比志島義輝
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比志島 義輝(ひしじま よしてる、1847年10月11日弘化4年9月3日)- 1927年昭和2年)3月14日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)代表。

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比志島義輝

経歴

鹿児島県出身。比志島蔵の長男[1]

1885年(明治18年)7月、参謀本部第1局第1課長に就任。1886年(明治19年)5月、歩兵第19連隊長に転じ、1887年(明治20年)11月、歩兵大佐に昇進。1889年(明治22年)9月、歩兵第1連隊長となり、1892年(明治25年)9月、第4師団参謀長に異動したが、同年11月に休職。日清戦争末の1895年(明治28年)1月27日、後備歩兵第1連隊長として復帰し、同月31日、台湾混成支隊司令官に発令され、台湾に出征し澎湖諸島を占領(乙未戦争)。同年8月、陸軍少将に進級し台湾兵站監に就任。

1896年(明治29年)3月、台湾守備混成第3旅団長に移る。1898年(明治31年)4月、歩兵第15旅団長となり、1901年(明治34年)2月18日、予備役に編入[2]日露戦争勃発により1904年(明治37年)4月に召集を受け、鴨緑江軍隷下の後備歩兵第9旅団長に就任し奉天会戦などに参加。1906年(明治39年)2月17日に後備役編入となり[3]、同年2月27日、陸軍中将に進み[4]召集解除となった。1910年(明治43年)4月1日に退役した[5]

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栄典

位階
勲章等
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脚注

参考文献

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