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水野勝種
備後福山藩4代藩主。水野宗家4代。水野勝貞の長男 ウィキペディアから
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水野 勝種(みずの かつたね)は、備後国福山藩の第4代藩主。水野宗家4代。第3代藩主・水野勝貞の長男で、母は瀬尾氏。
生涯
福山で生まれる。寛文3年(1663年)に父の死により数え3歳で跡を継ぐ。寛文8年(1668年)に徳川家綱に初御目見し、延宝3年(1675年)に従五位下に任官して美作守を名乗る。
藩政の功績としては、沼隈町の磐台寺観音堂をはじめ、領内の神社仏閣の再興や造営を行ったことが挙げられる。天和元年(1681年)、越後騒動により断罪された松平綱国を預かる。元禄2年(1689年)および元禄5年(1692年)に奥詰を勤める。
元禄10年(1697年)に江戸で死去し、初代藩主の勝成らと同じく福山の賢忠寺に葬られる。
7人もの男子に恵まれたが、長男から六男まではいずれも早世、末子の勝岑(七男)が跡を継いだが、数え2歳で早世したため、水野氏による福山藩政は終焉を迎えた。
系譜
父母
- 水野勝貞(父)
- 野瀬氏 ー 側室(母)
正室
- 長姫 ー 酒井忠清の娘
側室
- 瀬尾氏
子女
- 水野勝岑(七男)生母は瀬尾氏(側室)
参考文献
- 『水野記抄書』
外部リンク
- 福山城(福山城博物館)
- 備後歴史探訪倶楽部特別版「福山城」 - ウェイバックマシン(2005年4月7日アーカイブ分)
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