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永山武敏

明治・大正期の陸軍軍人、政治家、華族 ウィキペディアから

永山武敏
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永山 武敏(ながやま たけとし、1871年11月4日明治4年9月22日[1]〉 - 1938年昭和13年〉1月12日[1][2])は、明治から大正期の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍歩兵大佐貴族院男爵議員霊友会初代会長。

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永山武敏

経歴

陸軍士官・永山武四郎の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1904年(明治37年)6月21日、男爵を襲爵した[1][3][4]

陸軍士官学校(6期)に入り[5]1895年(明治28年)1月1日に卒業し[6]、同年5月22日、歩兵少尉に任官[2][7]。以後、歩兵第25連隊中隊長、同連隊補充大隊中隊長、歩兵第25連隊大隊長、歩兵第26連隊大隊長、独立守備第6大隊大隊長などを歴任[2][3]1917年(大正6年)8月6日、歩兵大佐に昇進し[8][9]、同年12月1日、予備役に編入され[2][8][10]1931年(昭和6年)に退役した[3]

1919年(大正8年)5月10日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[11][12]公正会に所属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した[2]

1930年、小谷安吉・小谷喜美久保角太郎に乞われて霊友会会長となる。墓所は多磨霊園 (3-1-14-35)[13]

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栄典

親族

  • 母 永山トメ(伊集院源之丞の二女)[1]
  • 妻 永山コト(西田守信[注 1]の長女)[1]
  • 長男 永山敏行(男爵) 1945年に死去し、永山家は襲爵手続きを行わず1946年5月に栄典喪失[1]
  • 四男 永山武臣松竹会長)[1]

脚注

参考文献

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