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蒲郡競艇場前駅
愛知県蒲郡市にある名古屋鉄道の駅 ウィキペディアから
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蒲郡競艇場前駅(がまごおりきょうていじょうまええき)は、愛知県蒲郡市竹谷町(たけのやちょう)にある名古屋鉄道蒲郡線の駅である。駅番号はGN21。東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の三河塩津駅と隣接している。
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歴史
当駅開業以前、三河鹿島駅 - 蒲郡駅間には三河鹿島側より拾石駅(当駅西 0.3km 付近[2])、竹谷駅(当駅東 0.4km 付近[2])、江畑駅(当駅東 0.9km 付近[2])の3駅が存在した[3]。拾石駅は島式ホームもつ列車交換駅であった[4]。竹谷駅・江畑駅は1944年(昭和19年)より営業を休止している[2]。
1953年(昭和28年)、休止中の竹谷・江畑両駅の統合駅として塩津駅が当駅東 0.5km 付近に設置された[5]。その後も駅統合が進められ、塩津駅と拾石駅の統合駅として1968年(昭和43年)に開業したのが蒲郡競艇場前駅である[5]。一時期、当駅は日本で一番長い駅名(15文字)であった。2022年現在、名鉄で一番長い駅名は瀬戸線の大森・金城学院前(16文字)で、当駅は2番目となっている。
1988年(昭和63年)11月には並走する東海道本線に三河塩津駅が開業するが、それまでは当駅が多くの競艇場利用客の輸送を担った[6]。蒲郡競艇場開催日には駅員が臨時配置されていた[5]。
駅の東にあった油井踏切は廃止され、2008年(平成20年)3月に横断歩道橋(自転車も通行可能)が設置された[7]。それに伴い、当駅 - 蒲郡間の踏切はすべて廃止された。
年表
- 1936年(昭和11年)11月10日 - 三河鹿島駅 - 蒲郡駅間開業と同時に拾石駅開業[8]。
- 1937年(昭和12年)
- 1944年(昭和19年) - 竹谷駅、江畑駅休止[2]。
- 1953年(昭和28年)1月1日 - 竹谷駅、江畑駅廃止。両駅の統合駅として塩津駅開業[2]。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 塩津駅と拾石駅を統合し、蒲郡競艇場前駅開業[5][2]。
- 1988年(昭和63年)
- 蒲郡競艇場前駅に至る周辺駅廃統合の変遷
帰属:国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」 配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス
駅跡および駅跡に平行する道路にあるバス停
- 拾石駅跡
- 拾石バス停
- 竹の谷バス停
- 江畑口バス停
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駅構造
1面1線単式ホームの地上駅[11][6]。駅集中管理システム未導入の無人駅で[1]、停車する全ての列車がワンマン運転のため、乗車口と降車口はそれぞれ1ヶ所ずつに限られている[12]。駅入口には自動券売機が1台設置されている。ホーム有効長は4両。
前述の通り東海道本線の三河塩津駅と同じ位置にある関係上、外見からは共同使用駅のようにも見えるが[6]、共用しているのは跨線橋だけである[5]。
駅改札口付近の花壇や駅前のロータリー周辺などの草取り等、清掃活動は地元の市民団体が担っている[1]。
- 跨線橋
- 隣接する三河塩津駅(右)
- ホーム
- 駅名標
のりば
配線図
← 吉良吉田方面 |
![]() |
→ 蒲郡駅 |
凡例 出典:[11] |
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利用状況
要約
視点
![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は256人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中273位、 西尾線・蒲郡線(23駅)中22位であった[15]。
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は679人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中257位、西尾線・蒲郡線(24駅)中16位であった[16]。
一日平均の乗車人員および乗降人員の推移は以下の通りである。
* 千人単位からの概算値
駅周辺
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
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