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江藤鋪
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江藤 鋪(えとう つらぬ[1][注釈 1]、1861年4月5日〈万延2年2月26日[4][5][注釈 2]〉 - 1938年〈昭和13年〉3月[6])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。族籍は熊本県士族[4][5][7]。功三級[8]。
経歴
1861年(万延2年)、肥後国(現・熊本県)士族・江藤観三の二男として生まれる[4][5][7]。1877年(明治10年)6月、陸軍幼年学校を卒業し[4]、1879年(明治12年)に旧5期生[注釈 3]として陸軍士官学校に入学した[7]。1882年(明治15年)12月、陸軍砲兵少尉に任ぜられ、1889年(明治22年)7月からイタリアへ留学をした[4][5]。
1893年(明治26年)に帰朝後[4]、1900年(明治33年)中佐に進み[7]、1901年(明治34年)7月、要塞砲兵射撃学校長に補された。1903年(明治36年)5月には大佐に進み、同年12月、東京湾要塞砲兵連隊長に任ぜられた[8]。
日露戦争が勃発すると徒歩砲兵第1連隊長を経て、第3軍隷下の野戦重砲兵連隊長として出征した。旅順攻囲戦の主力砲兵部隊として、奉天会戦では独立重砲兵旅団として戦った[6]。戦後は、要塞砲兵射撃学校長に再任し、重砲兵第3連隊長を経て、1910年(明治43年)3月、陸軍少将に進級と同時に基隆要塞司令官に補され、同年11月に予備役編入となった[8]。
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人物
栄典
家族・親族
- 江藤家
脚注
参考文献
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