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池田宏 (映画監督)

日本のアニメーション演出家 ウィキペディアから

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池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日本アニメーション演出家教員東京都大田区生まれ。

経歴

1941年、相生国民学校入学後、3年次より疎開を繰り返し、同じ学校を含め8回。[要出典]

1950年神奈川県立湘南高等学校に入学するが、バスケット部の夏の合宿時に病気を発症、入学1年目で休学した。フランス自然主義文学に熱中する。[要出典]また、中学時代から「生死」「自他」「存在」といった哲学的なテーマに興味を示し、答を求めて通った神田神保町の古書店主の何人かから、哲学史を「私塾的」に教えられたという[1]。高校卒業時は仏文科志望だったが、浪人中に「情報メディアの情報伝達機能に関する議論」をしたことで、映像を志望することとなる[1]

1955年日本大学芸術学部映画学科演出専攻で入学。教授の牛原虚彦(映画監督)から指導を受け、イタリアの「ネオレアリズモ」を研究対象とする[1]

1959年日本大学を卒業し、東映動画(現・東映アニメーション)に公募の演出助手1期生として入社。同期に高畑勲がおり、入社試験で「気を惹かれた」池田は帰路に高畑を喫茶店に誘い、入社後も公私を通じて長い親交を持った[2]。最初の出会いの際、池田は高畑が仏文(ジャック・プレヴェール)研究からアニメーションを志望した点に、一方高畑は池田が「ネオレアリズモ」からアニメーションに来た点に興味を惹かれたという[1]。池田は、高畑に「パクさん」という愛称を付けたのは自分であると記している[2]

東映動画入社後、約10年あまりにわたり脚本演出を担当する。劇場アニメの監督(当時の東映動画では「演出」と呼称)作品として『空飛ぶゆうれい船』『どうぶつ宝島』がある。

1974年、研究開発室課長(のちに室長)に転じ、アニメーション製作のコンピュータ化に従事する[2] [3]

1985年に東映動画退社後、任天堂に入社し、初代の情報開発部長[4]としてゲームソフトの開発を担当[2]。兼任で、株式会社マリオの代表取締役社長、招布株式会社の代表取締役社長を歴任[2]1999年、任天堂を退社した[2]。2001年、徳間記念アニメーション文化財団評議員となる。

一方、アニメーションに関係する学校等での役職は、東映動画で演出を担当中の1971年から、母校の日本大学芸術学部非常勤講師として「映像」「アニメーション」の講座を手がける。以後、女子美術大学日本大学大学院沖縄県立芸術大学大学院、女子美術大学大学院などの非常勤講師も担当した。

1980年、第34回日本映画テレビ技術協会奨励賞を受賞。

2003年東京工芸大学アニメーション学科教授2006年宝塚造形芸術大学教授に就任している。

2017年、東京アニメアワード2017で、功労賞を受賞[5]

2019年、第22回文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞した[6]

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主なアニメーション作品

劇場アニメ

テレビアニメ

主な著書

  • 講座アニメーション3:イメージの設計(1986)編共著
  • 傑作シナリオ:空飛ぶゆうれい船(1982)共著
  • アニメーションの事典(2012)共編共著
  • JAPANESE ANIMATION 共著

主な論文

  • ポケモン事件とその対応(1999)
  • 日本アニメーション学会・前史(2010)
  • アニメーションの概念とその特性(2011)
  • 作品に於けるメッセージ(2011)
  • もう一つの「どうぶつ宝島」(2012)
  • 東映動画研究――生産性とその向上ーー(2012)
  • 大学に於けるアニメーション教育の胎動(2013)
  • ファンタジーとアニミズム(2013)

脚注

参考文献

関連項目

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