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沖宮
沖縄県那覇市にある神社 ウィキペディアから
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沖宮(おきのぐう)は沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つであるが、近代社格制度では社格を与えられておらず、神社本庁に属さない単立の神社である。(無格社)。奥武山公園の東部に位置する。
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祭神
天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ。天照大御神)・天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)・天久臣乙女王御神(あめくしんおとめおうおんかみ)・熊野三神(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を祀る。
明治の神仏分離までは「沖山三所権現」(沖の寺)と称し、神仏習合で阿弥陀如来・薬師如来・十一面観音を祭っていた。
- 神代一代
- 相殿中央の御座
- 御先 女天神代 天受久女龍宮大御神(てんじゅくめりゅうぐうおおおんかみ)
- 中 女天神代 天智門女龍宮大御神(あまちじょうめりゅうぐうおおおんかみ)
- 今 女天神代 天受賀女龍宮大御神(てんじゅかめりゅうぐうおおおんかみ)
- 相殿左の御座
- 父御神 天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)
- 母御神 天久臣乙女大御神(あめくしんおとめおおおんかみ)
- 相殿右の御座
- 天芳子乙女大御神(てんぽうしおとめおおおんかみ)
- 天仁子乙女大御神(てんじんしおとめおおおんかみ)
- 天来子乙女大御神(てんらいしおとめおおおんかみ)
- 熊野三神
- 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
- 速玉男尊(はやたまをのみこと)
- 事解男尊(ことさかをのみこと)
- 相殿中央の御座
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摂末社
- 末社 住吉神社
- 神代二代
- 下二柱が御夫婦神
- 天風龍大神(あまふうりゅうおおかみ) - 子(ね)の神 表筒王
- 天火龍大神(あまひりゅうおおかみ) - 丑(うし)の神 中筒王
- 下二柱が御夫婦神
- 表臣幸乙女大御神(うはしんこうおとめおおおんかみ)
- 中臣幸乙女大御神
- 下二柱が御夫婦神
- 天水龍大神(あますいりゅうおおかみ) - 寅(とら)の神 底筒王
- 底臣幸乙女王御神(そこしんこうおとめおおおんかみ)
- 末社 辨財天宮(べんざいてんぐう)
- 神世三代
- 木龍宇具志久乙姫王(もくりゅうぐしおとひめおおお) - 辰(たつ)の神
- またの名を 辨天負百津姫神(べんてんよもつひめかみ):ノロ神の御名
- 木龍宇具志久乙姫王(もくりゅうぐしおとひめおおお) - 辰(たつ)の神
歴史
創建の由緒は不詳だが、源為朝の時代と史料にある[注釈 1]。正徳3年(1713年)の『琉球国由来記』には、「大昔、那覇港の海中から光が絶えず射していたので、調べてみると霊木であった。これを熊野権現の霊木とし、社寺を建てこの木を祀った」とある[5]。
最初は那覇埠頭の地(現・那覇市西3丁目)にあったが、明治41年(1908年)、那覇港埠頭築港に伴い那覇市安里の安里八幡宮の隣地に遷座し、寺は那覇市住吉町に移転した。その時の社殿は琉球における神社建築の典型例として、昭和13年(1938年)国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失した。戦後、比嘉真忠に「沖宮を復興せよ」と神託があり、沖宮霊木の根元は奥武山の天燈山と神示があった。昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、同50年、現位置である奥武山公園内へ遷座された。 令和二年に神社本庁との被包括関係を解き、単立神社となった。
そのほか、先代宮司である比嘉真忠氏によって沖縄各地に伊計神社(うるま市与那城伊計218)、宜名真神社(国頭村字宜名真218)、恵比須神社(那覇市字安謝251)、神着宮(名護市字安部)が創建された。また、平成29年には伊平屋島に伊平屋天巌戸神社(伊平屋村字田名 念頭平松付近)が創建された。クマヤ洞窟の遥拝所の役割を果たす神社である。(広報いへや 2018年1月号)いずれも御祭神は天照大御神である。
交通
モノレール
路線バス
- 奥武山公園駅前バス停
- 11番(安岡宇栄原線) 那覇バス
- 17番(石嶺(開南)線) 那覇バス
- 101番(平和台安謝線) 那覇バス
- 105番(豊見城市内一周線) 琉球バス交通
脚注
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