トップQs
タイムライン
チャット
視点
法眼晋作
日本の外交官 (1910–1999) ウィキペディアから
Remove ads
法眼 晋作(ほうげん しんさく、1910年〈明治43年〉2月11日 - 1999年〈平成11年〉7月24日)は、日本の外交官。駐インド特命全権大使、外務審議官、外務事務次官、国際協力事業団総裁などを歴任した。
経歴
1910年、和歌山県で生まれる。耐久中学、第六高等学校、東京帝国大学法学部を経て、外務省に入省。ドイツ語研修欧米局外務参事官、ベルリン総領事、オーストリア大使、インド大使、外務審議官などを務めた後、1972年に外務事務次官に就任した。
外務省退職後は外務省顧問に就任し、1974年に国際協力事業団の初代総裁に就任。1975年、ラプラタ川流域諸国経済使節団副団長を務めた。また、日本戦略フォーラム会長、国策研究会会長、財団法人アジア刑政財団理事、日本を守る国民会議代表委員などを歴任した。1980年、勲一等瑞宝章を受章。
人物
著作
- 『日本の外交戦略』(原書房、1981年)
- 『外交立国論――世界に通用する日本への道』(日本列島出版、1982年)
- 『日本人にとってソ連は危険国家だ』(山手書房、1984年)
- 『外交の真髄を求めて――第二次世界大戦の時代 法眼晋作回顧録』(原書房、1986年)
家族など
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads