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法金剛院
京都市右京区にある寺院 ウィキペディアから
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法金剛院(ほうこんごういん)は、京都市右京区花園にある律宗の寺院。山号は五位山。本尊は阿弥陀如来。境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧は日本最古の人工の滝とされており、国の特別名勝に指定されている。法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘の東麓にある。付近には妙心寺、仁和寺などの著名寺院や史跡も多い。





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歴史
天長7年(830年)頃、この地に右大臣清原夏野(782年 - 837年)が山荘を構えたが、夏野の死後にその山荘を寺院に改め、名称を双丘寺としたのが当院の始まりであるという[1]。その後、嵯峨天皇、淳和天皇の行幸をみ、さらに仁明天皇も行幸されたがその際に寺の背後にある内山に登り、景勝をめでて内山に五位の位を授けている。これにより、内山は五位山と呼ばれ当寺の山号も五位山とされた[1]。
天安2年(858年)に文徳天皇の発願で伽藍が建立されて定額寺に列し、名を天安寺と改めた[1]。その後、寺運は衰えたようだが、3世紀ほど経た平安時代末期の大治5年(1130年)に待賢門院(1101年 - 1145年)によって再興され、名称を法金剛院と改めている[1]。待賢門院は藤原氏の出身で鳥羽天皇の中宮であり崇徳天皇、後白河天皇の母である。こうして最盛期を迎えた法金剛院は、四季折々の美しい草木や浄土式庭園を中心とし、池の西に現存する丈六の阿弥陀如来坐像(国宝)を祀る西御堂、南に九体阿弥陀堂と呼ばれる南御堂、東に待賢門院の御所などが立ち並んでいたというが[1]、次第に衰微していった。
弘安2年(1279年)に円覚十万上人が律宗の寺院として復興し、また、融通念仏の拠点としたが、応仁の乱、天正の戦火、慶長地震などで大きく被災した[1]。
元和3年(1617年)に照珍和尚が本堂や経蔵を再建している[1]。
1970年(昭和45年)に平安時代末期の浄土式庭園の遺構が発掘され、復元されている。現存する国宝・阿弥陀如来像は像高2.2メートルを超える大作で、丈六阿弥陀堂の本尊と推定されている。
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境内
文化財
国宝
重要文化財
- 厨子入木造十一面観音坐像 - 像底に正和5年(1316年)造立、元応元年(1319年)摺仏等納入の朱漆銘があり、像内に銅製舎利容器を納める。坐像で四手の十一面観音菩薩は珍しい[4]。
- 木造地蔵菩薩立像 - 平安時代後期。
- 木造僧形文殊坐像 - 平安時代後期。
- 蓮華式香炉 - 古清水(こきよみず)焼きで蓮の花をかたどった香炉。京都国立博物館寄託。
- 木造地蔵菩薩坐像 - 平安時代後期。一丈六尺の大きさで目に金箔が貼られていたことから金目(かなめ)地蔵と呼ばれる。転じて要地蔵、叶(かなえ)地蔵とも呼ばれる。通常非公開であるが、毎月23日に法要が営まれる。参加自由。
典拠:2000年までに指定の重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国指定特別名勝
- 青女の滝(せいじょのたき) 附:五位山
重要美術品
- 後宸翰陽成天皇御宸翰
その他
前後の札所
所在地
- 京都府京都市右京区花園扇野町49
アクセス
脚注
周辺
外部リンク
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