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浅野守夫

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浅野 守夫(あさの もりお、1856年1月19日安政2年12月12日[1])- 1938年昭和13年)5月23日[1])は、日本男爵貴族院議員正三位[2]

経歴

浅野懋績の六男として生まれ、広島藩家老・東城1万石領主、浅野道興の養子となる[1]

養父の隠居に伴い、1869年(明治2年7月)家督を継承[1]。1872年(明治5年)東上し慶應義塾へ入る。漢学を修め広島県御用掛。1874年(明治7年)以降、広島県十五等出仕、広島駅逓出張局長、広島郵便局長等を歴任[2]殖産興業に従事し授産士族の世話を務める。

1905年(明治38年)3月25日、貴族院男爵議員に選出され[3]、1911年(明治44年)7月9日まで在任した[2]

栄典

親族

  • 妻は浅野懋昭の三女・亀、後妻は東園基敬の六女・ミツ[1]

出典

参考文献

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