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浜松救難隊

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浜松救難隊
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浜松救難隊(はままつきゅうなんたい、英称:Hamamatsu Air Rescue Squadron)は、航空自衛隊航空総隊航空救難団隷下の航空救難部隊。静岡県浜松基地に所在し、捜索救難機にU-125A、救難ヘリコプターにUH-60Jを運用する。

概要 浜松救難隊, 創設 ...

概要

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浜松救難隊のU-125A

浜松救難隊の前身は、1959年(昭和34年)5月15日小牧基地で編成された小牧救難分遣隊(1961年(昭和36年)に小牧救難隊へ改編)で、1971年(昭和46年)3月1日に浜松基地へ移動後に浜松救難隊へ改編された[1]

部隊マークは、富士山をモチーフとしたデザインになっている[2]

事故

2017年(平成29年)10月17日に浜松救難隊所属のUH-60J(58-4596号機[3])が、飛行訓練のため浜松基地を離陸後、浜松基地沖の洋上に墜落し、乗員4名のうち3名が死亡、1名が行方不明となった[4]

航空自衛隊のUH-60Jとしては2回目、近代化型のUH-60J(JII)としては初の墜落事故となった[5]

経過

10月17日にUH-60J救難ヘリコプター(58-4596号機)は飛行訓練のため、17時51分頃に浜松基地を離陸した[3]。事故機には機長のA3等空佐(42歳)、操縦士のB3等空佐(46歳)、機上整備員のC2等空曹(40歳)、救難員のD3等空曹(32歳)の計4名が搭乗していた[3]

17時57分頃に浜松基地との最終交信後、18時2分にレーダー航跡から消失。18時39分頃からU-125A捜索救難機及びUH-60J救難ヘリコプターによる捜索を開始し、事故機の部品類と見られる燃料タンク、ストレッチャー、浮舟、メインタイヤ2輪、左右キャビンドア、テールローター、ヘルメット3個、吊り上げ用フック、左のみの航空靴、外装タンク、プローブを発見した[3][6]

11月26日16時32分に浜松基地の南約31km付近で事故機の機体底部及び機体後部を揚収し、フライトデータレコーダーを回収[7]11月29日9時50分頃にカメラ付き無人探査機での海中捜索で、海底に搭乗員1名を発見し、12月3日13時に収容[8][9]12月4日にもう1名を発見し収容[10]12月7日にさらに1名を発見し、12月10日に収容した[11][12]

12月13日に残る搭乗員1名と機体の捜索を断念し、捜索活動の終了が発表された[13]

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沿革

部隊編成

  • 隊本部
  • 総括班
  • 飛行班
  • 整備小隊

出典

関連項目

外部リンク

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