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清水比庵

日本の画家、政治家、歌人、書家 (1883-1975) ウィキペディアから

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清水 比庵(しみず ひあん、1883年明治16年)2月8日 - 1975年昭和50年)10月24日)は、日本歌人書家画家政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。質素な生活ぶり、岡山にゆかりがあること、歌人・書家という活動分野から、晩年は「今良寛」と呼ばれた[1]

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

生い立ち

岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に清水質(ただし)と妻・すへの長男として生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。中学から大学まで同級生だった友人に神社柳吉がいる。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。翌1909年4月に笹田ツルと結婚し、その後、退官し安田銀行に入行。翌年、長女明子(はるこ)誕生する。1927年(昭和2年)に古河電気工業会社に勤務。翌1928年に日光精錬所に勤める。処女歌集『夕暮』を「清水匕舟」の名で刊行する。1929年に歌誌『二荒』を創刊、主宰となる[1]

日光町長時代

1930年要請を受け栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の町長となり、町長在任中、町役場への観光課の新設や、観光常設委員による全国宣伝、温泉源の開発など、現在につながる観光行政の基礎を築き上げ、日光が国立公園に指定されたのも比庵が町長であった時期だった[2]1935年に、萩原朔太郎岡本かの子中河与一等を中禅寺湖畔に招き「慈悲心鳥を聴く会」を主催し、「歌人町長」と呼ばれた。この年、号を「比庵」に改める。1939年に部下の不祥事により町長を引責辞任、退職金も返還し、千葉県市川市に移る。後は、愛郷心が厚く、度々高梁へ帰郷して後輩を激励した[1]。歌誌『二荒』が友誌の『下野短歌』に合併、その主宰となる。町長辞職後は和歌などの創作活動に専念する。

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比庵歌碑(備中松山城)

戦後になると、1958年に日光市名誉市民となる。1966年宮中歌会始召人となる。この時の御題は「声」であった。比庵は次の歌を詠進した。 「ほのぼのと むらさき匂う 朝ぼらけ うぐひすの声 山よりきこゆ」

1968年に地方の歌誌であった『下野短歌』が全国的規模に発展し『窓日』と改称、その主宰となる。1971年に高梁市名誉市民となる。1975年東京にて逝去。享年92。墓所は岡山県笠岡市の威徳寺。

銀行員時代に、庶民の暮らしや風俗を絵手紙にして同僚に頻繁に送ったことから『絵手紙の元祖』とも称されている。[3]

死後

1997年に開館した高梁市文化交流館に「比庵歌境の間」が設けられ、長女明子より寄贈を受けた数多くの作品が所蔵されている。1999年、高梁に故人を偲んで比庵会が発足した。

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著書

  • 『比庵』桑田笹舟 編、一楽書芸院, 1962.6
  • 『比庵 歌・書・画』求龍堂, 1968
  • 『野水帖 歌・書・画』清水三溪, 1970.4
  • 『比庵いろは帖』求龍堂, 1972
  • 『比庵晴れ』求龍堂, 1973
  • 『清水比庵作品集』河北倫明編、朝日新聞社, 1978.10
  • 『比庵百華』同 刊行委員会 編・発行, 1988.8
  • 『山高し 窓日六十五周年記念』窓日叢書・窓日短歌会, 1994.2
  • 『毎日佳境 清水比庵・窓日彫拓本集』濱崎道子 編、岩崎芸術社, 1997.5
  • 前川佐美雄 清水比庵 近代浪漫派文庫39』新学社, 2007.2
  • 『現代の歌聖 清水比庵』日本文教出版岡山文庫, 2013.10。笠岡市立竹喬美術館・石井編集事務所書肆亥工房 編
  • 『清水比庵 没後四十年 温かき歌人のまなざし』遠山記念館 編・発行, 2015.3

顕彰施設

参考文献

  • 『前川佐美雄/清水比庵』新学社〈近代浪漫派文庫39〉。

脚注

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