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渡辺修渡舟

日本の画家、彫刻家 ウィキペディアから

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渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日 - 2007年3月2日)は、日本画家彫刻家[1]

概要 渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう), 生誕 ...

武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」ことができる社会を目指して提唱し、その同志が建設した理想郷「新しき村」で義務労働の傍ら、絵画や彫刻の制作に励む。村で毎日絵筆をとる生活をし、絵画教室も開いていた[2]。渡辺登州(わたなべ としゅう)と名乗ることもあった[3]。本名、渡辺修(わたなべ おさむ)。武者小路実篤高田博厚に師事した。

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経歴

鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)で生まれ、中学生の頃から絵を描きたいという思いを持ち、武者小路実篤の作品も熱心に読んでいた。将来は教員でもやりながら絵を描こうと思っていたが、高校教師だった兄の話を聞いて教師との両立に疑問を抱く。鳥取県立米子西高等学校を卒業してから、1年間実家の農業を手伝い、反対していた両親を説得して、埼玉県毛呂山町にある「新しき村」に入村。農業・養鶏などに勤しみながら、時間を作っては創作活動に充てていた。

武者小路実篤から「芸術家に生まれたような男で、自分の感じを直接に筆力や(彫刻の)刀に出すことが出来る珍しい男」[4]高田博厚からは「私は渡辺君の生一本の熱情と誠実さを知っている」と言われた[5]

出身地である山陰地方を10年にわたり写生するなど約300点の作品を制作。これらの作品のうち122点(屏風四曲2点、二曲33点を含む)を展示する「心の山陰百景展」(1987年)を埼玉県立近代美術館で開催した。これ以外にも、幅1.6 m長さ33 mの巻物式の『毛呂のやぶさめ』を21点制作。

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主な展示場所

アトリエ長杉荘

略年譜

  • 1935年(昭和10年) - 鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)に生まれる。
  • 1955年(昭和30年) - 新しき村に入村する。
  • 1959年(昭和34年) - 銀座・なすび画廊にて初の個展。この頃高田博厚に油絵、彫刻を見てもらう。武者小路実篤に、方向と何が大事か教わる。
  • 1961年(昭和36年) - 戦後初めての女性入村者である高橋ナヲ(1927-2017)と結婚[2]
  • 1965年(昭和40年) - アトリエ長杉荘完成。修渡舟が美術指導にあたる。
  • 1976年(昭和51年) - 山陰百景を描き始める。
  • 1986年(昭和61年) - 埼玉県立近代美術館にて第28回個展を開催。
  • 1987年(昭和62年) - 埼玉県立近代美術館で第29回個展「心の山陰百景展」開催[3]。埼玉県毛呂山町の流鏑馬や、鳥取県東伯郡中山町の記念碑(置石彫刻)を制作する。
  • 2007年(平成19年) - 修渡舟が死去。
  • 2017年(平成29年) - 妻・ナヲが死去。「村の100周年を盛り上げること、修渡舟の絵を多くの人に見ていただくこと」などを、娘の京鼓に言い残す。
  • 2018年(平成30年) - アトリエ長杉荘が一般公開される[6]
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周辺施設

脚注

参考文献

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