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渡辺基綱
日本の江戸時代前期~中期の大名 ウィキペディアから
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渡辺 基綱(わたなべ もとつな)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。武蔵国野本藩3代・和泉国大庭寺藩/伯太藩の初代藩主。伯太藩渡辺家3代。
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略歴
寛文5年(1665年)、尾張藩重臣・渡辺藤蔵長綱[1]の子として誕生した。
延宝8年(1680年)、従兄にあたる渡辺方綱の婿養子となり家督を相続し、元禄11年(1698年)に大庭寺藩主となる。元禄14年(1701年)、大坂定番に任じられる。享保12年(1727年)4月18日、伯太に陣屋を移した(以後は伯太藩)。大坂定番在任中の享保13年(1728年)7月19日に死去した。享年64。跡を長男の登綱が継いだ。
性格は温厚で、領地に善政を布いていたことから、「善将」と称された名君である。
脚注
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