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渡辺氏 (地下家)
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渡辺氏(わたなべし)は、戦国時代から江戸時代にかけての武家。
概要
山城国の渡辺氏の祖は足利義晴に仕えたとされるが詳細は不明。松永久秀家臣の出雲守・渡辺告の子で左馬助・渡辺重の弟である渡辺宮内少輔昌は足利義昭に仕え、天正元年(1573年)には織田信長と対立したものの敗北している。後に信長に仕え、信長が死んだ後は豊臣秀吉の馬廻衆となった。昌の子・渡辺糺は豊臣秀頼の槍の指南役として仕えたものの、大坂夏の陣で豊臣方として廃止している。糺の子・渡辺守は大坂城落城時に生き延び、南禅寺で出家したのちに細川忠興の嘆願によって還俗し甲府藩主・徳川綱重に仕えた[1]。
また、昌の子孫である渡辺沖の子・渡辺珍化は享保14年(1729年)閏9月5日に内豎と主鈴に補任されている。珍化からは珍亮-珍之-珍香・・・珍賞(徳岡久規の子、妻は珍香の娘)-珍信-珍鏘と続いた[2]。
脚注
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