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湯の町エレジー

日本の近江俊郎の楽曲 ウィキペディアから

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湯の町エレジー(ゆのまちエレジー)は、1948年古賀政男の作曲、近江俊郎の歌唱により大ヒットした流行歌。ギター伴奏による古賀メロディーの代表的な一曲である。

概要 「湯の町エレジー」, 近江俊郎 の シングル ...

解説

本作の作詞:野村俊夫、作曲:古賀政男ギター伴奏を行っているのは、作曲した古賀政男自身と弟子の古屋雅章(山本丈晴)である。ギターの音色を特徴とする「古賀メロディー」を代表する曲であり、同時に近江俊郎の代表曲ともなり、彼の人気を不動のものにした。しかし、玉置宏によると、当初は霧島昇が歌うのを想定して作られた曲であるとのこと。

近江俊郎はレコーディングの際、歌い出しの低音がうまく出せず、23回のNGを出したというエピソードがある。用意された原盤が最後の1枚になったところでようやくOKをもらった[1]。発売当時、40万枚(または43万枚[2])という当時としては戦後最高のレコード売上枚数を記録した[3]

当初、「湯の町ブルース」の曲名で会社から発注されたが、作曲した曲がブルース調にならなかったためタイトルが変更された[1]

本曲をモチーフとして、1949年5月に東宝が『湯の町悲歌(エレジー)』を近江俊郎の主演で製作・公開した[4]

本曲に続いて、同じ作詞者・作曲者コンビによるエレジーソング第2弾「シベリヤ・エレジー」が伊藤久男の歌唱でレコーディング・発売された[1]

また、本曲に続く「湯の町もの」第2弾として同じ作詞者・作曲者・歌手により「湯の町夜曲」が発売され、かなりの売れ行きだった。しかし、それに続いて出された「湯の町物語」はさほどヒットしなかった[5]

アメリカのヒップホップグループNon Phixionの楽曲「Black Helicopters」は湯の町エレジーをサンプリングした曲である。

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脚注

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