トップQs
タイムライン
チャット
視点
湯原祐希
日本のラグビー選手 ウィキペディアから
Remove ads
湯原 祐希(ゆはら ひろき、1984年1月21日 - 2020年9月29日)は、日本の元ラグビー選手、コーチ。トップリーグ東芝ブレイブルーパス(後の東芝ブレイブルーパス東京)に所属していた。引退後はFWアシスタントコーチを兼任していた。
Remove ads
プロフィール
略歴
6歳のときにラグビーを始める。
2006年、流通経済大学卒業後、東芝ブレイブルーパスに加入[3]。
2008年10月25日に行われたジャパンラグビートップリーグ第6節の日本IBMビッグブルー戦にて、先発出場で公式戦初出場を果たす[4]。
2010年5月11日、韓国戦で日本代表として初キャップを記録している[5]。
2011年、ラグビーワールドカップ2011の日本代表に選ばれる[6]。なお、ワールドカップでは1試合に出場した。
2015年、ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選ばれる[7]。
2017年1月にトップリーグ100試合出場を達成[8]。
2019年、東芝ブレイブルーパスのアシスタントコーチに就任した[9]。
2020年9月30日、所属していた東芝から湯原が29日に死去したことが発表された[10]。30日に発表した東芝によると、湯原は29日の朝に東京都府中市内にあるクラブハウスで自主トレーニングしていた際、突然意識を失って倒れたという。近くにいた選手とスタッフがAEDなど可能な限りの救急措置を施した上で119番に連絡後、救急搬送されたが搬送先の病院で息を引き取った[11][12]。湯原には持病はなく、湯原は亡くなる前日の28日にも普段通り練習で指導していたという[11]。急死として、死因は非公表[12]。36歳没。
Remove ads
出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads