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滋野井公寿

日本の公家、内政官僚・華族 ウィキペディアから

滋野井公寿
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滋野井 公寿(しげのい きんひさ)は、日本公家内政官僚華族甲府県知事伯爵

概要 凡例滋野井 公寿, 時代 ...

経歴

近衛権中将滋野井実在の長男として生まれた。安政3年2月1856年)に元服侍従となる[2]

文久3年6月1863年西四辻公業後醍醐天皇陵攘夷祈願を行い差控となる。慶応3年4月1867年英国公使一行の伏見通過について、父・実在、鷲尾隆聚ら20数名と朝廷に警護の対策を取るよう強く進言し差控となる[2][3]。慶応4年1月1868年綾小路俊実と共に赤報隊の盟主に擁立されたが、活動中の金穀強要などを咎められ召喚令が出され帰京した[3]

王政復古後、明治元年4月1868年)、佐渡裁判所総督に就任[2]佐渡鎮撫使を経て、同年10月甲斐府知事となる。明治2年7月1869年)、甲斐府が甲府県と改称され甲府県知事兼甲府城守となる。明治3年(1870年9月、水害による凶作の独断による救恤処置が問題とされて謹慎となり、翌月知事を辞職[2][3]

その後、桂宮祗候などを務めた[2]。父の死去により1878年4月30日、滋野井家当主を継承[1]1884年7月7日、伯爵を叙爵[4]

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栄典

親族

脚注

参考文献

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