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潙山霊祐
唐代の禅僧 ウィキペディアから
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潙山霊祐(いざん れいゆう)は、中国の唐代の禅僧[1]。諡は大圓禅師。俗姓は趙。福州長渓県(福建省寧徳市霞浦県)の出身。法語として『潙山警策』がある。
生涯
逸話
百丈禅師が潙山の開山を弟子の華林覚と霊祐のどちらかにさせようとした時に、浄瓶を指して「この浄瓶を浄瓶と呼んではならんとすれば、なんと呼ぶか」と問うたところ、華林覚は「木切れとはいえません」と返したが、霊祐は浄瓶を蹴り飛ばして出て行ってしまった[1]。霊祐の答えに満足した百丈禅師は霊祐を潙山の住持とした[1]。この故事を画題にした禅画に「潙山踢瓶図」などがある[1]。
伝記資料
- 日本語伝記
- 尾崎正善『潙山 - 潙仰の教えとは何か』臨川書店〈唐代の禅僧5〉、2007年9月。ISBN 978-4653039952。
脚注
外部リンク
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