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瀬名氏貞

日本の戦国時代の武将。今川氏一門瀬名一秀長男で、瀬名氏2代当主。従五位下陸奥守 ウィキペディアから

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瀬名 氏貞(せな うじさだ)は、戦国時代武将遠江今川氏の流れを汲む瀬名氏の2代当主。

概要 凡例瀬名 氏貞, 時代 ...

生涯

はじめ遠江国二俣城に住した。のちに駿河国庵原郡瀬名村(現:静岡県静岡市葵区瀬名)に住んだ。

栴岳承芳(今川義元)と玄広恵探が争った花倉の乱では、承芳方に属した。

寛政重修諸家譜』は、天文7年(1538年)3月16日没、享年42としるす。

系譜

寛政重修諸家譜』の「瀬名」系譜は3男1女を載せる。嫡男の氏俊、次男の義広築山殿の父)、氏次(うじつぐ、勘十郎)、女子(武田左衛門尉某室)である。

ただし、天文20年(1551年)頃と作成年代が絞ることが可能な 『土佐国蠧簡集残篇』所収「今川系図」からは氏次の存在は確認できない(瀬名元世のように庶流出身の人物が同時代史料に登場するため、同族の可能性はある)[1]。また、小鹿安房守(範満の甥[2])の子である又五郎もしくはその子・民部少輔の妻が氏貞の娘と推定されている[3]

脚注

参考文献

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