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熾仁親王妃董子

明治から大正にかけての皇族 ウィキペディアから

熾仁親王妃董子
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熾仁親王妃 董子(たるひとしんのうひ ただこ、1855年6月25日安政2年5月12日) - 1923年大正12年〉2月7日)は、明治時代から大正時代にかけての皇族有栖川宮熾仁親王の2番目の親王妃である。

概要 熾仁親王妃 董子, 続柄 ...

生涯

1855年6月25日(安政2年5月12日)、溝口直與(本多忠穆)の次女として生まれる。その後、伯父である溝口直溥の養女となる。幼名は、栄姫[1]

1873年(明治6年)、貞子妃を病気で亡くした熾仁親王と結婚する。董子は、夫と共に佐野常民らを助けて博愛社(後の日本赤十字社)の創設に尽くし、東京慈恵医院幹事長を10年間務めた。1923年(大正12年)2月7日に67歳で薨去した。

栄典

脚注

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