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東京慈恵会医科大学附属病院

東京都港区にある病院 ウィキペディアから

東京慈恵会医科大学附属病院
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東京慈恵会医科大学附属病院 (とうきょうじけいかいいかだいがくふぞくびょういん)は、東京都港区西新橋3-19-18にある大学病院(附属病院の本院)である。略称は、慈恵医大病院。病院の基本理念は、「『病気を診ずして、病人を診よ』の教えに基づき、質の高い医療を実践し、医療人を育成することにより、社会に貢献し、患者さんや家族から信頼される病院をめざす」。東京慈恵会医科大学西新橋キャンパスに併設されており、病棟は中央棟(A・B棟)を中心に、F棟まである。

概要 東京慈恵会医科大学附属病院, 情報 ...
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歴史

年表

  • 1882年8月 高木兼寛が、有志共立東京病院を開院。
  • 1887年4月 当時の皇后昭憲皇太后)より、「慈恵」の名を賜り、東京慈恵醫院と改称。
  • 1891年2月 高木兼寛が、個人経営のかたちで、東京病院を開院。
  • 1907年7月 社団法人東京慈恵会が設立され、東京慈恵会醫院と改称。
  • 1922年2月 東京病院の経営が、社団法人東京慈恵会に移管され、社団法人東京慈恵会付属東京病院となる。
  • 1923年9月1日 関東大震災の影響をうけ、社団法人東京慈恵会附属東京病院および東京慈恵会醫院が被災する。
  • 1945年5月 太平洋戦争による空襲をうけ、社団法人東京慈恵会附属東京病院が被災する。
  • 1947年4月 東京慈恵会醫院が、東京慈恵会医科大学附属東京病院南病棟と改称。同時に、従来からある社団法人東京慈恵会附属東京病院は、東京慈恵会医科大学附属東京病院北病棟と改称。
  • 1962年10月 病院名を東京慈恵会医科大学附属病院と改称。同時に、東京病院の名称が消えることから、記念碑を設置。
  • 1994年2月 特定機能病院として承認される。

有志共立東京病院

有志共立東京病院は、日本初の民間による施療(注:施療とは、「無料で医療を施す」という意味である。)病院である。開設者である高木兼寛は、海軍軍医総監であったこともあり、同病院の設立に際し、皇族をはじめ、各界の有力者たちの協力が得られ、大変豪華な設備の病院であったという[要出典]

関係者

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基礎データ

診療

その他

  • 病院内に、スターバックスコーヒー慈恵大学病院店があった(2019年12月閉店)
  • 東京慈恵会医科大学の創設者である高木兼寛は、「脚気」の予防策として、白米をいれる、「麦ごはん」を考案したことで知られ、病院に入院をすると、昼食の際、「麦ごはん」が出される。

事件・事故・不祥事

勤務医師による不同意堕胎事件

  • 同病院に勤務の男性医師(当時36歳)が、妊娠した交際相手の女性看護師を、同意なしに堕胎させた事件である。男性医師には別に婚約者がいた。結局、男性医師は懲役3年執行猶予5年の確定判決を受け、厚生労働省医道審議会で「医師免許取り消し処分」となった。

新型コロナウイルス感染

  • 2020年4月4日、東京都は4日、新型コロナウイルスの感染者を都内で新たに117人確認したと発表した。都内の累計感染者は891人に達した。このうち慈恵医大病院の関係者6人も含まれているという[7]

交通アクセス

脚注

外部リンク

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