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牛窓町
日本の岡山県邑久郡にあった町 ウィキペディアから
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牛窓町(うしまどちょう)は、かつて岡山県の南東部、邑久郡に存在した町である。2004年11月1日、同郡の邑久町・長船町と合併して瀬戸内市となり、町役場は瀬戸内市役所牛窓支所となっている。

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概要
西は岡山市、北は邑久町、東と南は瀬戸内海に面している。特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称している。県有数のマッシュルームの生産地であり、香川県の小豆島とならび、日本二大オリーブ産地の一つでもある。
町名の由来
神功皇后が三韓征伐の道中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われたが弓で射殺。皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。この場所を牛転(うしまろび)といい、訛って牛窓になったという。牛窓界隈には、伝説にまつわる浮かぶ島や神社等がある。
牛窓には、前島・黄島・黒島・青島などの島々が瀬戸内海に浮かんでいる。定かではないが、この牛鬼が滅びた後にこれらの島々に化けたとの言い伝え(伝説)がある。頭は黄島、胴体の前は前島、胴体の後ろは青島、お尻の部分は黒島に化けたと地元では伝えられている。
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行政
歴代町長
- 萬燈実太(昭和29年10月 - 昭和32年11月)
- 高祖鶴雄(昭和32年12月 - 昭和40年12月)
- 高原道夫(昭和40年12月 - 昭和52年12月)
- 新地 勇(昭和52年12月 - 平成元年12月)
- 田中義之(平成元年12月 - 平成9年12月)
- 東原和郎(平成9年12月 - 平成16年10月) → 合併により瀬戸内市副市長へ
歴史
古くから海上交通での風待港として栄え、江戸時代には朝鮮通信使の寄港地でもあった。明治以降は交通流路から外れたことにより衰退した。
警察
産業
スポーツ
2004年の高校総体、市制施行後の2005年に行われた晴れの国おかやま国体では、セーリング競技の開催地となった。
姉妹都市
教育
町内に大学、高等学校はない。
- 小学校
- 牛窓町立牛窓東小学校
- 牛窓町立牛窓西小学校
- 牛窓町立牛窓北小学校
- 中学校
- 牛窓町立牛窓中学校
上記各校とも現在は瀬戸内市立となっている。
交通
町内を走る鉄道、高速道路、一般国道はない。
電気
才賀藤吉が1912年(大正元年)8月に事業許可を得て1913年(大正2年)6月に牛窓電気を設立[2]。牛窓町に発電所(瓦斯力、出力32kW)を建設、1914年(大正3年)12月に事業開始。供給区域は邑久郡牛窓町、鹿忍村、長浜村、玉津村[3]。1922年(大正11年)3月に山陰中央水電に合併される[4][5]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


脚注
関連項目
外部リンク
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