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王伾

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王 伾(おう ひ、生年不詳 - 806年)は、唐代官僚二王八司馬のひとり。本貫杭州

経歴

はじめ翰林侍書待詔となった。正議大夫・殿中丞・皇太子侍書を歴任した。貞元21年(805年)、順宗が即位すると、王伾は翰林待詔のまま、左散騎常侍となり[1][2]、翰林学士をつとめた[3]

王伾は韋執誼韓泰陳諌柳宗元劉禹錫韓曄凌準程异らとともに王叔文の主導する改革(永貞革新)に協力した。杜佑を通じて王叔文を宰相とし、北軍を総べさせようと運動したが、許されなかった。そこで王叔文を威遠軍使・同平章事としようとしたが、やはり許可されなかった。永貞元年(同年)、憲宗が即位し、王叔文が失脚すると、王伾は開州司馬に左遷された。元和元年(806年)、配所で死去した[1][4]

脚注

伝記資料

参考文献

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