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生源寺龍憲
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生源寺 龍憲(しょうげんじ たつのり、1998年5月15日 - )は、山口県出身の日本のプロゴルファー[1]。
経歴
山口県山陽小野田市出身[1]。幼い頃はサッカーをしていたが、父親の練習についていったことをきっかけに10歳でゴルフを始めた[2]。高校は岡山県の作陽学園高等学校に入学。同級生には渋野日向子がいた。その後、同志社大学に進学し3年次の2019年に『関西学生ゴルフ選手権競技』で2位になると[3]、2020年には大阪学院大学で2年だった平田憲聖を抑えて『関西学生会長杯』で優勝した[4]。同年のクオリファイングトーナメントに参加してプロ転向。
下部チャレンジのABEMAツアーを中心にプレーして少しずつ成績を上げると、2023年6月にABEMAツアー『ジャパンクリエイトチャレンジ in 福岡雷山』でプロ初優勝を飾ると[5]、次戦の『南秋田カントリークラブみちのくチャレンジトーナメント』も制して2戦連続優勝[2]。同年の下部ツアーを歴代最多賞金額で賞金王に輝いた[1]。
2024年は国内ツアー開幕戦『東建ホームメイトカップ』で2位になる[6]と賞金ランキング29位で初のシードを獲得した[2][7]。同年は予選会を通過してアジアンツアーの出場権も獲得しており積極的に参戦してトップ10にも入った[8]。
2025年の国内ツアー開幕戦『東建ホームメイトカップ』の最終日は降雨によるコースコンディション不良のため中止となり、前日までの3日間で66-64-66を記録し、2位の米澤蓮と3打差をつける通算17アンダーで単独トップに立っていたためツアー初優勝を飾った[9]。同年5月の『日本プロゴルフ選手権大会』最終日をショーン・ノリスと並ぶ首位で出たが、11番でダブルボギーを叩くなどスコアを伸ばせず通算14アンダーで並んだ清水大成とプレーオフ。4ホールに及んだが生源寺がパーパット外し、清水にパーを決められて敗北し、メジャー大会初優勝とはならなかった[10]。6月『JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP by サトウ食品』で最終日1打差の2位から出て、6バーディ、ノーボギーの「65」で回り切り、通算23アンダーの1打差で逆転優勝し、選手会主催試合を初制覇[11]。
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エピソード
主な記録
ツアー優勝(2)
プレーオフ記録(0-1)
脚注
外部リンク
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