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産田神社

三重県熊野市有馬町の神社 ウィキペディアから

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産田神社(うぶたじんじゃ)は三重県熊野市有馬町の神社である。

概要 産田神社, 所在地 ...

由緒と歴史

「産田」は産所の意であり、『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる[1]。また、付近に位置する花窟神社が、亡くなった伊奘冉尊の墓所であるとされる[2]

創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573-1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳である。古くは1132年長承元年)、崇徳天皇が産田神社へ行幸したことが『熊野年代記』に記される[3]。神社の歴史を示すものとしては、1521年永正18年霜月14日)の棟札が認められる[3]

1600年慶長5年)に豊臣秀頼より二王門が寄進されている。また、1732年享保17年)には紀州藩より灯籠が寄付され[3]、社殿が修復された[1]

1871年明治4年)に郷社とされる。1906年(明治39年)12月25日に神饌幣帛料供進社として指定され、翌1907年(明治40年)12月6日には村内の小社5社を合祀した[1]

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祭神

伊弉諾尊伊弉冉尊軻遇突智尊天照皇大神大山祇命木華開耶姫命神武天皇[1]

1521年永正18年)の棟札には「奉棟上産土神社二所大明神」とあり[3]、『紀伊続風土記』よると、「二所大明神」は伊弉冉尊と軻遇突智尊の2神を指すことから、当初は伊弉冉尊と軻遇突智尊が祀られ、後に夫神である伊弉諾尊が併祀されるようになったといわれる[1]

境内

  • 本殿 - 屋根に鰹木のある神明造1929年昭和4年)建立。
    白石が敷詰められた本殿前には、用意されている草履に履き替えて入場する[4]
  • 参籠殿

例祭

  • 1月10日(大祭・弓引き神事)
  • 2月10日(春祭)
  • 11月23日(秋祭)
奉飯(ほうはん)の儀
神事の最後、直会(なおらい)の際に[3]、汁かけ米飯、骨付きさんま寿司、赤和え(アカイ〈生魚の唐辛子和え〉)、神酒からなる「奉飯」と呼ばれる膳が振舞われる。

神徳

  • 安産・子授け
    伊弉冉尊は多くの神々の母であることから、古くより安産や子授け、子育てを祈願し、信仰されている。安産祈願の際、目を閉じて拾った石が丸いと女子、細長いと男子が産まれるといわれる[5]

文化財

  • 産田神社祭祀遺跡
  • 産田神社社叢
    古代の祭祀の場である神籬(ひもろぎ)の跡が本殿の両側にあることから[4]、当社は「産田神社祭祀遺跡」として1964年(昭和39年)4月28日に熊野市指定文化財の史跡に指定されており、また、社叢は「産田神社社叢」として同日、同じく市指定文化財としての天然記念物に指定されている[6]

交通

脚注

関連項目

外部リンク

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