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田上嘉子
日本の女優 (1922-2007) ウィキペディアから
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田上 嘉子(たがみ よしこ、本名 - 下絛 嘉子[1](旧姓 - 田上[2])、1922年〈大正11年〉3月12日[1][2] - 2007年〈平成19年〉1月12日[4])は、日本の女優。元子役[6]。東京都出身[1]。
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人物
1934年6月、築地座を脱退し劇団創作座の創立に参加[8]。
1937年、東宝劇団入団[1]。1940年、本流新派入座[9][注釈 1]。1942年、井上演劇道場入団[1]。
その後はプレーヤーズセンター[2][10]、森の会を経て[10]、1959年9月、劇団現代座入団[1]。1962年7月に現代座を退団し、同年9月、劇団新人会に入団[1]。
舞台を中心に活動していた[2]。結婚後、ラジオの声優を活動の中心としていた時期がある[3]。
築地座・創作座時代には少女名優と謳われ[11]、『京都三条通』の加地喜代役を村山知義はテアトロの批評で「13歳だそうだが、実にしっかりしている。天才ではないかと思う」と評している[12]。足立直郎は東宝劇団時代の『土』のおつぎ役を「相当将来性がある」と称した[13]。
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主な出演作品
映画
- みんなわが子(1963年)
テレビドラマ
- この瞳(1956年、NHK)
- 月見草(1957年、KR)
- 石となりぬる(1957年、KR)
- ここに人あり(1958年、NHK)
- 裸の町(1958年、NHK)
- 鉄腕アトム(1959年、MBS)
- 天使の部屋(1960年、NHK)
- 指名手配 第27回「黒い変質者」(1960年、NET)
- 黎明(1960年、NHK)
- 晩菊(1960年、NET)
- ヘンゼルとグレーテル(1961年、NHK)
- この光は消えず キュリー夫人(1961年、NHK)
- あすをつげる鐘 近代教育の父ペスタロッチ(1961年、NHK)
- 江戸育ち江戸家猫八[14](1961年12月30日、NHK)[15]
- 娘と私(1961年 - 1962年、NHK)
- おかあさん 第217回「マタニティ・マーチ」(1963年、TBS)
- 愛と死をみつめて(1964年、TBS)
- じゃまっけ(1964年、TBS)
- 嘘つき(1965年、NHK)
ラジオドラマ
舞台
- レールは唸る(1933年、東京青年俳優劇団プロット加盟準備公演) - ミイチカ[19]
- 数(1934年、劇団創作座) - 君子[12]
- 鼬(1934年、劇団創作座) - お君[12]
- 聯絡船(1934年、劇団創作座) - 映画女優の弟子[12]
- 京都三条通り(1934年、劇団創作座) - 加地喜代[12]
- 村道(1935年、劇団創作座) - 宇佐美綾子[20]
- 鼬(1935年、劇団創作座) - お咲[20]
- 猪之吉(1935年、劇団創作座) - 房子[20]
- クレオパトラ美容室(1935年、劇団創作座) - ミチ[20]
- あらし(1935年、劇団創作座) - 看護婦D[20]
- 母親(1935年、劇団創作座) - 美津子[20]
- 築地明石町(1935年、劇団創作座) - おなを[20]
- 土(1939年、東宝劇団) - おつぎ[13]
- 田植唄(1940年、東宝移動文化隊)[21]
- 橋からの眺め(1959年、劇団現代座) - ビアトリス[22]
- 愚者の死(1960年、劇団現代座) - 勝子[23]
- 月明らかに星稀なり(1962年、劇団新人会) - 老尼[24]
- トロイアの女(1963年、東大ギリシァ悲劇研究会) - アテーナ[25]
- 戯劇春秋(1963年、劇団三期会 劇団新人会 劇団青年座 劇団同人会、劇団仲間合同公演) - 馮韻荷[26]
- さすらい(1964年、劇団新人会) - 埃太女神官[27]
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参考文献
- 倉林誠一郎 編『新劇年代記 戦中編』白水社、1966年。
脚注
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