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田中久重 (2代目)
江戸時代後期から明治にかけての実業家 ウィキペディアから
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田中 久重 (2代目)(たなか ひさしげ、1846年10月20日(弘化3年9月1日) - 1905年(明治38年)2月23日)は、江戸時代後期から明治にかけての実業家[1]。
生涯
筑後国久留米の金工、金子荘右衛門の六男として生まれ、初代田中久重の門弟となり、才能を見込まれて養子田中大吉となる[2]。
1873年、初代とともに上京し、翌年、電信寮製機所に勤め、御雇外国人技師の指導を受けて電信機の製作に従事。外国人技師が帰国した後、日本人技術者のみで機械製作を推進した。
1881年、初代の死去により襲名。翌年、東京芝浦に大工場(田中製作所)を建設し[3]、海軍からの要請で水雷などを製造するも、海軍工廠が充実して受注がなくなり、負債を負って三井に経営が移り、1883年、芝浦製作所(のちの東芝)になった[4]。
脚注
外部リンク
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