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田中仁

日本の実業家 (1963-) ウィキペディアから

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田中 仁(たなか ひとし、1963年1月25日 - )は、群馬県前橋市出身実業家株式会社ジンズホールディングスの創業者であり代表取締役CEO[1]オイシックス・ラ・大地株式会社社外取締役[2]前橋工科大学客員教授[3]慶應義塾大学SFC研究所上席所員[4]。群馬県内の地域活性化活動を目的とする、田中仁財団代表理事[5]

概要 たなか ひとし 田中 仁, 生誕 ...

略歴

幼少期は、群馬県前橋市利根川赤城山を望むのどかな田園風景のもとで幼少期を過ごす。事業家であった両親の影響を受け、学生時代から起業への夢を抱くようになり“自分は商売の道へ進もう”と決心。卒業後は、経営のノウハウを学ぶため前橋信用金庫(現しののめ信用金庫)に入庫した。最終学歴は、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で修士課程を修了している[6]

ジンズホールディングス

1987年に24歳で雑貨の製造・卸売業を本業とする「ジンプロダクツ」を立ち上げ、 翌年に有限会社「ジェイアイエヌ」(現 株式会社ジンズホールディングス)を設立。

2001年4月、福岡市の中心である天神にジェイアイエヌ初の眼鏡販売店「JIN' S天神店」を開く。安価で優れたデザインの眼鏡を発売するとファッションの眼鏡としてブランドは成長し、5年で大証ヘラクレス(現JASDAQ)に株式上場した。[7]

翌年の2013年には、株式会社ジェイアイエヌを東京証券取引所第一部に上場。2017年に、株式会社ジェイアイエヌから株式会社ジンズ商号を変更。2019年には、ホールディングス体制に移行し、社名をジンズホールディングスに変更。ジンズ事業はジンズジャパンが継承[8]

アイウエア事業

デザインや機能・価格だけでなく、業界の常識にとらわれないイノベーティブな商品やサービスを次々に生み出している。

  • レンズ追加料金なしの料金体系「NEWオールインワンプライス(史上最低・最適価格)」[9]
  • 軽さと洗練されたデザインが人気で累計販売本数2,580万本(2024年5月末時点)を突破した「Air-frame」[10]
  • 目や身体への負担になるブルーライトをしっかりカットする「JINS SCREEN」[11]
  • 花粉・飛沫が侵入する隙間を減らし顔にフィットするメガネ「JINS PROTECT」[12]
  • 目の乾燥から守る保湿メガネ「JINS PROTECT MOIST」[12]

働き方

  • 2022年、全国展開する小売業でもほとんど例がない時給改定を発表。全国で働く準社員・パート従業員のベース(最低)時給を東京水準で全国一律化[13]
  • 2023年、店舗正社員の基本給および年間の休暇休日数を業界最高水準へ改定[14]
  • 2024年、店舗正社員の基本給を前期比で最大13.9%増へ改定[15]
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前橋のまちづくり

・2013年、群馬から起業家を育み地域を元気にしようと一般財団法人 田中仁財団を設立[5]

・2013年、地域の若者に誰もがチャンスがあることを伝えたいと上毛新聞社と「群馬イノベーションアワード(GIA)」を共催[16]。さらに時代を担う新しい技術、サービスのイノベーションに挑戦する起業家や事業継承者を育成することを目的に「群馬イノベーションスクール(GIS)」を設立[17]

・2015年、前橋市を魅力ある都市にするため、官民共創事業として前橋ビジョン実行委員会をつくり、ドイツ・ミュンヘンブランドコンサルティング企業KMSに分析、戦略立案、ビジョン制定を委託して市民約3,000人のアンケートを分析した。前橋を「Where good things grow(よいものが育つまち)」として前橋出身のコピーライターの糸井重里が「めぶく。」と名付けた[18]

・2016年、前橋ヤマダグリーンドームで前橋ビジョン発表会を開催[19]

・2024年、任意団体から一般社団法人に移行。会員は23社から56社へ増加。拠出金を一律50万円に改定された。

SHIROIYA HOTEL

2014年、田中仁財団の活動として2008年に廃業して取り壊し予定とされていた江戸時代から続く前橋の老舗旅館「白井屋旅館」(※1970年代にホテル業へと転換)の再生プロジェクトを開始。

2020年12月、白井屋ホテルとして開業。大改修と新棟建設は建築家の藤本壮介が設計、共用部分のアートワークはアーティストのレアンドロ・エルリッヒ、プロダクトデザイナーのジャスパー・モリソン、建築家のミケーレ・デ・ルッキがスペシャルルームのデザインを手がけた[20][21]

人物

ビジョン

経営者として大切にしていることは「本気は自分への投資」という姿勢。会社の危機を乗り越えた自らの経験を「ビジョンを掲げたことで、霧の中から抜け出し、視界が開けたことで、進むべき道が明確になった」と語っている[22]

ビジネスに対する考え方

商売を伸ばしたいと思ったら、商売そのものを伸ばすことに注力するよりも、まずは自分自身の考えや価値観といったものの幅が広げていかないと商売は大きくならないと語っている[23]

不祥事

2021年、社外取締役を務めるバルミューダの株式の買い付けにおいて、5月14日〜20日の売買承認期間の前日13日(買付承認後) 正午頃に株式の買い付けを行った。その後、当日24時頃に誤って売買承認期間外に取引を行った旨を申し出、翌14日には東京証券取引所及び証券取引等監視委員会の情報提供窓口に報告。バルミューダは、取引に際して社内規程に基づく承認を取得していること、取引の注文を行った当日中にその旨を当社に申し出ていることから、取引は売買承認期間に関する錯誤によって行われたもので、悪意をもって行われたものではないと判断。会社側は特段の措置は取らなかったが、11月にバルミューダのガバナンスの観点から、5月まで遡り10月までの月額報酬を全額返上、月額基本報酬の100%を11月より5ヵ月減額することが発表された[24]。なお、田中は同年12月24日付けでバルミューダ社の社外取締役を辞任した[25]

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社会貢献

太陽の会

田中を発起人に前橋ビジョン「めぶく。」を推進すべく地元企業有志が集まり、前橋の資産となるものに見返りを求めず投資する活動。会員企業は、その純利益の1%パーセント、最低100万円、を前橋発展のために毎年寄付をする[26]。第一回事業は岡本太郎太陽の鐘」を広瀬川河畔に誘致した。

太陽の鐘は、1966年に日本通運株式会社が静岡県に開設したレジャー施設内に創設されたが、1999年に閉鎖した後は長らく保存されていた。前橋再生のシンボルを探していた「太陽の会」は、糸井重里を通じてこの作品の存在を知り、修復費用を負担することを条件に、岡本太郎記念館平野暁臣の協力で前橋市へ寄贈された。

受賞

  • 2010年、「第10回 Entrepreneur Of The Year Japan」大賞受賞 日本代表に選出(主催:Ernst&Young)[27]
  • 2011年、「第36回経済界大賞」ベンチャー経営者賞受賞(主催:株式会社経済界)[28]
  • 2012年、「第5回 日本マーケティング大賞 奨励賞」受賞(主催:日本マーケティング協会[29]
  • 2013年、「DealWatch Awards 2012 Equity Issuer of the Year」受賞(主催:Thomson Reuters)[30]
  • 2013年、 紺綬褒章授与
  • 2018年、「アントレプレナージャパンキャンペーン」創業機運醸成賞受賞(主催:経済産業省・中小企業庁主催)[31][32]
  • 2018年、「イノベーションネットアワード2018」(主催:全国イノベーション推進機関ネットワーク)堀場雅夫賞受賞[33]
  • 2021年、「2021年度ポーター賞」受賞(一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻)
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テレビ出演

著作

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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