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田舎郡

陸奥国(現在の日本の青森県)にあった郡 ウィキペディアから

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田舎郡(いなかぐん、いなかのこおり)は、青森県津軽平野黒石市南津軽郡尾上町(現平川市)・田舎館村付近に存在した[1]郡である。

沿革

かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡鹿角郡比内郡平賀郡鼻和郡、田舎郡が建郡された。 建郡の時期は文献がないため不明だが、清原真衡の時代という説と藤原清衡の時代(奥州藤原氏)という説がある[2]

田舎郡は、かつての陸奥国青森湾津軽平野などにかけた広い地域に位置し、建武元年(1334年)8月21日の工藤貞行譲状にあるのが初見である。

南北朝期には、田舎郡の一部である津軽平野東部に山辺郡が一時的に建てられ[3]、津軽四郡とも呼ばれた。

江戸時代前期の寛文4年(1664年)の朱印改めに際し、田舎郡・鼻和郡・平賀郡の津軽三郡はそれぞれ「田舎庄」・「鼻和庄」・「平賀庄」と改称し、郡名は消滅して津軽郡となった。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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