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畑山隆則

日本の元プロボクサー ウィキペディアから

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畑山 隆則(はたけやま たかのり、1975年7月28日 - )は、日本の元プロボクサーYouTuber青森県青森市出身。青森山田高等学校通信制卒業、青森大学経営学部中退。第28代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。第34代日本スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者。世界2階級制覇王者

概要 基本情報, 本名 ...
概要 畑山 隆則, YouTube ...

現在は竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムマネージャー、評論家、そして太田プロダクション所属のタレント実業家、YouTuber。

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来歴

要約
視点

プロデビュー前

中学時代は野球部に所属、エースで1番として活躍し、将来はプロ野球選手になることを熱望していた。投手としてスポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1ヶ月で退部[1]。かねてより、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊国際)の世界戦を見ていたこともありプロボクサーも志望する。高校を中退(引退後に再入学し卒業した。)し単身で上京し、初めにヨネクラジムへ入門するが[2]、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍する。同ジムにて韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなる。

プロデビュー後

1993年6月17日、東京にて福村和宏(京葉)を相手にプロデビュー戦を行い、初回KO勝ち。以後、4戦4勝(2KO)。

1993年12月18日、東京にて坂本和則(角海老宝石)と対戦し、初回KO勝ちを収めて東日本スーパーフェザー級新人王となる。

1994年2月13日、大阪府立体育会館にて小谷繁グリーンツダ)と対戦し、3回KO勝ちを収めて全日本スーパーフェザー級新人王となり、試合後にはMVPを獲得。以後、8戦8勝(8KO)

1995年、前年まで元WBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也協栄)のマネージャーを務めていたタレント片岡鶴太郎をマネージャーに迎え入れる。

1996年3月18日、東京にて崔重七(韓国)とOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を行い、2回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。

1996年6月19日、神奈川県横浜市にてルディ・カビレスフィリピン)を迎えて初防衛戦を行い、判定勝ちを収めて初防衛に成功した。

1996年9月21日、神奈川県川崎市にてオッキー・バクリンインドネシア)と対戦、9回KO勝ちを収めて2度目の防衛。その後、同年11月に所属する京浜川崎ボクシングジムの会長が不祥事で逮捕されたことにより、柳和龍トレーナーとともに横浜光ボクシングジムへ移籍する。

1997年2月17日、後楽園ホールにて尹東澈(韓国)と対戦、4回TKO勝ちを収めて3度目の防衛。試合後に世界挑戦準備のため王座を返上した。

1997年10月5日、世界初挑戦。両国国技館でWBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑むも、1-1(116-114、114-116、114-114)のドローで王座獲得に失敗[文献 1]

1998年3月29日、日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢草加有沢)に挑戦。9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功した(この王座は初防衛戦を行うことなく返上)。

1998年9月5日、前年10月の対戦で引き分けた崔に再び挑戦。2-0(2者が116-113、114-114)の判定勝ちを収め、王座獲得に成功した[文献 2]

1999年2月13日、有明コロシアムにてサウル・デュランメキシコ)を迎えて初防衛戦。2回にダウンを奪われるも、挑戦者が2度の減点を取られたこともあり、1-1(114-111、113-116、113-113)のドローで辛くも初防衛に成功[文献 3]

1999年6月27日、有明コロシアムにて同級1位の指名挑戦者ラクバ・シンモンゴル)を迎えて2度目の防衛戦を行うも、5回TKO負けを喫し王座から陥落するとともにプロ初黒星を喫した[文献 4]。試合後の同年7月に現役引退を表明し、その後は鶴太郎マネージャーの紹介で芸能界入りし、テレビでのタレント活動を開始。

2000年、引退を撤回しメキシコ系アメリカ人でもあるルディ・エルナンデス(元世界スーパーフェザー級王者・ヘナロ・エルナンデスの実兄)を新トレーナーに迎え入れ、プロボクサーとして復帰することを発表する。

2000年6月11日、復帰初戦でいきなりの世界挑戦。有明コロシアムにてWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノベネズエラ)に挑む。約1年のブランクを感じさせない軽快な動きで王者を翻弄。5度のダウンを奪った末の8回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功し、2階級制覇を達成した[文献 5]

2000年10月11日、横浜アリーナにて元OPBF東洋太平洋ライト級王者で3度の世界挑戦経験を有する坂本博之(角海老宝石)を迎えての初防衛戦を行い、10回TKO勝ち。防衛に成功した[文献 6]

2001年2月17日、両国国技館にて全階級を通じての日本王座最多防衛回数となる22度の防衛を果たした元日本ライト級王者リック吉村(石川)を迎えて2度目の防衛戦。挑戦者が減点を取られたこともあり、1-1(116-111、112-115、114-114)のドローで規定により2度目の防衛に成功[文献 7]

2001年7月1日、さいたまスーパーアリーナにて同級1位の指名挑戦者で元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシーフランス)を迎えて3度目の防衛戦。挑戦者を再三ロープに押し込みながらも、的確なパンチを受け続けてしまい、結局0-3(110-118、111-117、112-117)の判定負け。王座から陥落した[文献 8]。この試合を最後に2002年1月、正式に引退した。

引退後

引退後の2002年7月、元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム東京都新宿区に開設(2012年、大田区に移転)。当初はアマチュア専用のジムとして運営していたが、2008年に東日本ボクシング協会(日本プロボクシング協会の下部組織)への加盟が承認されたのを機にプロ選手も受け入れるようになり、同い年でもある藤岡奈穂子をジム初の世界王者(WBC女子ミニフライ級、WBA女子スーパーフライ級)に育て上げている。

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戦績

  • プロボクシング:29戦24勝(19KO)2敗3分
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獲得タイトル

  • 東日本スーパーフェザー級新人王
  • 全日本スーパーフェザー級新人王
  • 第28代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛3=返上)
  • 第34代日本スーパーフェザー級王座(防衛0=返上)
  • WBA世界スーパーフェザー級王座(防衛1)
  • WBA世界ライト級王座(防衛2)

エピソード、引退後

  • 妻はフリーアナウンサー清原久美子で、1子をもうけている。なお、畑山は離婚歴が1度あり、前妻との間にも1子をもうけている。
  • 引退後は、タレント活動を中心に、ボクシングやK-1の解説者など、様々な方面で活躍している。また、中退した青森山田高校へ通信制課程で再入学し、卒業。卒業後は同系列の青森大学へ進学したが中退した。

出演

テレビドラマ

映画

  • 静かなるドン The Movie(2000年公開) - 都通激
  • ROUND1(2003年公開) - 主演・トッポ(映画初主演)
  • アメイジング グレイス〜儚き男たちへの詩〜(2011年8月公開、グアパ・グアポ) - 吉永渉
  • 鷲と鷹(2014年公開)

Vシネマ

  • 溝鼠VS.毒蟲(2009年) - 大黒
  • もう一つの柳川組木槿の花(2009年)
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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