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畑福俊英
日本の野球選手 (1913-1981) ウィキペディアから
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畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1981年5月23日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手。右投右打)、野球指導者。
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来歴・人物
横手中学から専修大学を経て、1934年に大日本東京野球倶楽部(翌1935年より東京巨人軍)結成へ参加しプロ入り。日本プロ野球最初のリーグ戦(日本職業野球連盟)を開始した1936年7月3日の対大東京戦に先発登板し6イニングを1失点に押さえて巨人球団史上初の公式戦勝利投手となった[1][2]。1937年以降は新設したイーグルス(1940年途中より黒鷲軍、1942年より大和軍)へ移籍。1937年に春季・秋季シーズン合わせて32敗を喫しているが、これはプロ野球記録とされている中山正嘉の29敗(1940年。金鯱所属時)よりも多い。1939年に応召され、1941年の途中に除隊。1943年に退団。
退団後は社会人野球・三菱鉱業美唄炭鉱野球部の選手兼任監督(投手)を経て、専修大学松戸高等学校で監督を務め、1966年にNHKのドキュメント番組『ある人生』で特集されている。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- イーグルスは、1940年途中に黒鷲(黒鷲軍)に、1942年に大和(大和軍)に球団名を変更
背番号
- 15 (1936年)
- 10 (1937年 - 1938年、1941年 - 1943年)
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脚注・出典
関連項目
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