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畠山義福
日本の江戸時代後期の武士。江戸幕府旗本畠山国祐(河内畠山氏)次男で、同格畠山義紀養子。高家旗本畠山氏6代当主(能登畠山氏18代当主) ウィキペディアから
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畠山 義福(はたけやま よしとも[1][2])は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本。織部[1][2]。
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略歴
高家旗本・畠山国祐の次男[1]。生母は堀川広益の娘[1]。実兄に政如、実弟に国儔がいる。
一族の高家旗本・畠山義紀(旧能登守護家)の養子となる[1]。
明和4年(1767年)2月15日、10代将軍・徳川家治に初めて御目見する[1]。同6年(1769年)4月5日、20歳のとき、家督を相続する[1]。采地は3,122石余[2][1]。
享和2年(1802年)4月3日死去、享年53。興仁院圓山宗義[3]。
生涯、表高家として過ごし、高家職に就くことはなかった。
家族
脚注
参考文献
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