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番付上位者優勝制度

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番付上位者優勝制度(ばんづけじょういしゃゆうしょうせいど)は、大相撲1909年6月場所で最優秀成績者への優勝掲額制度が発足してから、1947年6月場所で優勝決定戦制度が導入されるまで実施されていた制度で、同点での最高成績者が複数人いた場合にはその場所の番付でより上位にいた者を優勝とするもの。

概要

同成績(勝ち星から負け星を引いた数が同じ状況)であるなら、上位の地位で取っていた力士の方がそれだけ強い相手と対戦しているはずなので、それだけ価値が高いとする考え方に基づく。また優勝制度発足以前の場所に遡って優勝相当成績の回数などを数える場合にも、この制度にあてはめて算出することが通例になっている。

なお、この制度下では「優勝が決まったわけでないのに、優勝を争う当事者の勝敗が優勝の行方にほぼ影響しない。」という奇妙な現象もあり得た。一例をあげると、1942年5月場所、13日目を終えた段階で横綱双葉山が1敗で、全勝の大関安芸ノ海を追う展開であったが、この両者は千秋楽に直接対戦することが決まっていたため、14日目の相撲に敗れ1敗を喫した安芸ノ海のあとに土俵に上がる番付上位の双葉山にとっては、同日の相撲に勝っても負けても「千秋楽に勝てば優勝、負ければ脱落」という状況に変わりがなく、(引き分け、預かりといった例外的なケースを別にすると)、優勝争いという面に限定すれば消化試合的な不合理な側面があった。ちなみに双葉山は14日目、大関照国に敗れ、「安芸ノ海1敗、双葉山2敗」という展開で千秋楽両者直接対戦したが、双葉山が勝利、上位優勝の恩恵を受けて優勝した。

なお、幕下以下では、1950年1月場所から1956年1月場所までは、優勝決定戦は行われず、この制度が採用されていた。

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この制度下で幕内最高優勝を逃した力士

さらに見る 場所, 四股名 ...
  • 対戦は優勝者との直接対戦。空欄は対戦なし。
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