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相馬信夫

カトリック教会の聖職者 ウィキペディアから

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相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo Soma, 1916年6月21日-1997年10月6日)は、日本カトリック教会聖職者。洗礼名は「アロイジオ」。カトリック名古屋教区第2代司教を務めた。

生涯

相馬又二郎と鈴子の三男として、東京市神田区で生まれた[1][2]。祖父は専修大学創立者相馬永胤[3]1921年カトリック神田教会で受洗し、1934年3月に浦和高等学校を卒業し、1941年3月に東京帝国大学理学部天文学科を卒業[4]。さらに同大学院で学んだ[1]1942年に応召し、ニューブリテン島パプア・ニューギニアラバウルに出征[1]1946年に帰国[4]

1953年東京カトリック神学院入学。1960年3月18日に東京教区司祭として叙階された[2]。洗足教会、荻窪教会の助任を経て[5]、1965年4月から1969年までカトリック高円寺教会の主任司祭を務めた[6]

1969年9月15日カトリック名古屋教区司教として叙階[2]。教区長としての任務の他に、教区内の社会福祉事業活動を推進した。1974年5月からカトリック正義と平和協議会担当司教を務め[4]韓国の詩人金芝河に対する死刑阻止活動を行った[2]。1985年には愛知いのちの電話教会理事長に就任[7]1989年8月14日ニューヨークの国連非植民地化特別委員会で東ティモールの住民投票実施にによる非植民地化への支持を表明した[8]。1991年の湾岸戦争では自衛隊機派遣に反対[1]。同年1月31日に湾岸避難民救援実行委員会委員長となり[2]、民間機をチャーターして避難民を移送した[1]。同年に朝日社会福祉賞を受賞[9]

1993年6月25日に名古屋教区長を引退[2]。引退後は名古屋市のカトリック名東教会に居住。1997年10月6日未明、 急性心不全のため名古屋市名東教会で死去。[2] 10月9日に布池教会で葬儀ミサが捧げられた[4]

2015年、東ティモール政府から功労賞を贈られた[10]

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脚注

外部リンク

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