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真下耕一

日本のアニメ演出家、アニメ監督 ウィキペディアから

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真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は、東京都出身の日本の元アニメーション監督演出家上智大学法学部卒業。

概要 真下耕一 (ましも こういち), プロフィール ...
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経歴

小さい頃から映画好きで、高校時代から8ミリ映画を自主製作し大学時代は映画研究会に属した。アニメには特に興味はなく、大学4年生のときに共同テレビで半年ほどアルバイトをしていたところ、アニメ制作会社タツノコプロの新聞求人広告を見て、映像作品を作る会社ということで1975年11月6日に入社する。

シナリオを書きたくて、演出助手を志望し、演出部長だった笹川ひろしより薫陶を受ける。3ヶ月後には『タイムボカンシリーズ』(『タイムボカン』第33話「ビックリ!天女は宇宙人だペッチャ」)で初演出。タツノコプロ時代は同期の西久保瑞穂うえだひでひとや2年遅れて入社した押井守らと「タツノコ四天王」の異名を取った。1981年の『ゴールドライタン』からチーフディレクターを務め、『未来警察ウラシマン』まで、次世代のタツノコプロのメカアクション路線を牽引した。アブノーマルカラーを多用するなど、独特の演出技法に定評がある。

1984年にタツノコプロを離れフリーになる。1980年代後半に『ウラシマン』制作プロデューサーの田村常夫と共に「銀河帝国」を設立するも数年で解散。その後、再びフリーの演出家として古巣のタツノコプロの他、スタジオディーンなどで活動した後、1997年堀川憲司(現・P.A.WORKS社長)と共に「ビィートレイン」を設立し、代表取締役に就任する。会社経営者として活動する傍ら、自身も多数の監督作品(美少女ガンアクション三部作、『.hack』シリーズなど)を世に送り出す。

2011年、『へうげもの』を最後にビィートレインの事業をシーステイションに譲渡して活動停止(2025年現在、法人格自体は存続している)。同時期、かつて仕事を共にしたプロデューサーの三本隆二との会食の折、現場を退く意思を伝えており、以後アニメーション演出家としての活動は見られない[1]日本映画監督協会会員でもあったが、2025年現在は会員名簿に名前がなく、退会している模様。

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参加作品

テレビアニメ

劇場アニメ

OVA

ゲーム

  • ゼノギアス(1998年)アニメーションムービー絵コンテ・演出

その他

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脚注

外部リンク

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