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真宗大谷派三河別院
愛知県岡崎市にある寺院 ウィキペディアから
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真宗大谷派三河別院(しんしゅうおおたにはみかわべついん)は、愛知県岡崎市中町字野添25にある真宗大谷派の寺院(別院)。
歴史
天明8年(1788年)に碧海郡暮戸(現・岡崎市暮戸町)に会所が置かれて、赤羽御坊とともに西三河地方の布教を担っていた。
明治維新を経て、東本願寺21世・厳如は岡崎に別院を建立することを計画した[1]。1890年(明治22年)10月、岡崎の三河教校に三河別院が仮設置され、赤羽別院と暮戸説教場を移転統合するという通達が出されたが[1][2]、それぞれの地元の門徒に依る存続請願の結果これらは残された[3]。
現在の場所に仮堂が建てられ、翌年4月8日に丹後峯山別院の本尊を移しての入仏法要が執り行われた[2][3]。1896年(明治29年)に仮堂が破損したことから、1903年(明治36年)に本山の旧太子堂を移築することが22世・現如によって決められ[1]、本堂として1906年(明治39年)から建方が進められたものの、1907年(明治40年)8月の暴風雨によって倒壊[1]。工事が完了し本堂が落成したのは1909年(明治42年)12月であった[1]。
その後、境内には庫裏や書院、鐘楼などが建てられ[1]、隣接して燕岡幼稚園(現・燕ヶ丘保育園)が置かれた[3]。太平洋戦争の際に本堂を含めた伽藍を焼失し[3]、現在の本堂は一旦の再建を経て1988年(昭和63年)に完成したもの[3]。東本願寺の岡崎教務所と隣接しており、この地域の布教の拠点となっている。
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支院
→詳細は「三河別院挙母支院」を参照
豊田市神明町には三河別院挙母支院がある。元々は浄土宗の寺であったが大谷派に譲渡されて説教所となり、三河別院に寄進されて支院となっている[4]。
脚注
参考文献
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