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三河別院挙母支院
愛知県豊田市にある仏教寺院 ウィキペディアから
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三河別院挙母支院(みかわべついんころもしいん)は、愛知県豊田市神明町1丁目55にある真宗大谷派の寺院。本尊は阿弥陀如来[1]。岡崎市にある真宗大谷派三河別院の支院である[2]。旧称は挙母説教所。毎年5月には挙母寄席という落語会が催される[2]。
歴史
近世
もとは浄土宗の説教所だったが、真宗大谷派が譲り受けて挙母説教所となった。挙母説教所は現在地より約450メートル北東(現・豊田市喜多町4丁目)にあったが、元治元年(1864年)に火災で焼失した[3]。
近代
明治初頭には安長寺を手継とする説教所の建設が計画されたが、西南戦争の混乱などもあって進まなかった[3]。1878年(明治11年)には本堂の再建に取り掛かると、1882年(明治15年)に本堂が再建され[3]、安長寺説教所となった[1]。やがて西加茂郡力石村(現・豊田市力石町)の如意寺の末寺となったが、1884年(明治17年)には本山の直轄説教所となった[3]。
1894年(明治27年)11月には西加茂郡矢並村(現・豊田市矢並町)の民家を移築して庫裡とした[3]。1922年(大正11年)には昇格して大谷派挙母支院となった[3]。1942年(昭和17年)には宗教団体法の認可を得た[1]。
現代
1951年(昭和26年)には宗教法人として認可され、岡崎市の真宗大谷派三河別院を冠した三河別院挙母支院に改称した[3]。
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境内
- 本堂 - 入母屋造、桟瓦葺。1882年(明治15年)再建[3]。
- 庫裏 - 幕末頃に西加茂郡矢並村(現・豊田市矢並町)に建てられた民家であり、1894年(明治27年)11月に移築された[3]。
- 書院 - 戦後に建立[3]。
- 鐘楼 - 入母屋造、桟瓦葺。大正末期建立[3]。
- 山門(正門) - 薬医門。境内南側にある。大正末期頃竣工[3]。
- 山門(裏門) - 薬医門。境内北側にある。大正末期頃竣工[3]。
- 水屋 - 水盤は1912年(大正元年)完成[3]。
- 便所
- 鐘楼
- 梵鐘
- 本堂屋根替記念碑
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
参考文献
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